大童法慧 | suddenly
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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1月 27日 suddenly

悲しみは、どうやら、突然やってくる。
そして、突然、やってきた悲しみは、とても悲しい。
「お参りさせてください」と言って、本堂で手を合わす女性。
半時あまり過ぎた頃、「ありがとうございます」と声をかけてこられた。
お茶を進めたら、笑顔で頷いた。
「先日、病院で検査して、癌だと告げられました。
治療を進められたけれども・・・おかげさまで、決めることができました。
ここで、母のことや自分の人生を振り返って、甥には迷惑かけられない、と決めました。
私、もう70年も生きてきた、もう十分だって思えた。だから、治療はしない。」
悲しみは、どうやら、突然やってくる。
そして、突然、やってきた悲しみは、とても悲しい。
でも、私たちは、その悲しみを避けて通れない。
行きつけのショトバーで「同い年だね」と、私に語しかけてきた男がいた。
バツイチ無職、女のところに転がり込んで威張り散らす彼。
9歳の子供の親権は、当然、別れた妻が持っているという。
聞けば、せっかく勤めた会社も、「給料が安い」「馬鹿にされた」と理由をつけ辞めてしまう。
酒を飲めば暴れる、甲斐性なし。
それでも、どういうわけか、女にはもてて食うに困らない。
女は別れたくても、別れられない。
だから、本人は追い詰められない。
でも、今日は違った。
ショットバーではなく、お寺を訪ねてきた彼が、絞り出すように言った。
「息子が・・・」
悲しみは、どうやら、突然やってくる。
そして、突然、やってきた悲しみは、とても悲しい。
でも、私たちは、その悲しみを避けて通れない。
そういえば・・・
絶望を胸にした時、痛切に思った事がある。
「なぜ、こんなに悲しいのに、こんなに苦しいのに、こんなに辛いのに・・・また、朝がくるのか」
「自分がこんなに悲しくても、朝が来る」
訪れた朝が、憎く恨んだ。
訪れた朝に、怯え震えた。
悲しみは、どうやら、突然やってくる。
そして、突然、やってきた悲しみは、とても悲しい。
でも、私たちは、その悲しみを避けて通れない。
いつも、あなたを思い出す。
いつも、懐かしく思う。
あらざらむ この世の外の 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな   和泉式部


悲しみは、突然、やってくる。
驚きは、いつも、突然、やってくる。
事実は、いつも、突然、やってくる。
唐突に起こる厳然たる出来事に、戸惑い、引きづられ、振り回され、あがき、呻く私。
この悲しみや苦しみにも意味があると思えたならそこに、一条の光が差し込む。
その出来事を、如来として受け止めることができるのなら、私を真実なるものへと導いてくれる。
如来如去
突然というけれど、でも本当は、一歩づつ引き寄せた、もたらされた、選んでいたものだ、と心得る。


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