大童法慧 | マラソン
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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3月 10日 マラソン

 

先月、東京に住む友人が「いわきサンシャインマラソン大会」に参加した。
そして、郡山に寄って声をかけてくれた。
マラソンの素晴らしさをしばらく語った彼女は、あろうことか私にマラソンをはじめてみてはと勧めた。
もちろん、即座に断った。「いやです」、と。

 

すると、彼女は大事なことを手渡すかのように語った。
「マラソンは坐禅と同じですよ。一歩、一歩と、ひと息、ひと息。私は坐禅をしていなければ、マラソンを続けられていなかったと思う。」
しかたなく私は「考えてみるよ」と応えた。

 

あの時から、およそひと月。正直に告白します。
ジムでランニングマシーンを走っている時、自転車をこいでいる時、私はテレビのモニターがなければ、それができない人間なんだということがよくわかりました。しかも、そのテレビの番組がつまらなければ、走るのもこぐのもやめてしまうダラシナイ男なのだ、と。
だから、マラソンは無理です。

 
けれども、あなたのおかげで気づいたことがあります。
5種目のサーキットトレーニング、各種目1から10回までの、1セット。
例えば限界に近付いた7回目、「あと3回だ」と心に浮かんだ瞬間、8、9、10回目は余計にきつくなってしまう。投げ出したくなってしまう。
しかし、7、8、9、10と、それのみを心を置いたならば、しのぐことができるのだ、と。

 

今日もいいことがありました!

 

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