大童法慧 | 備忘
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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2月 18日 癖や思い込み

  『「そのままの私」からはじめる坐禅』の校正で、自分の文章の癖や思い込みをまざまざと突き付けられました。   その大きな誤りの一つ。   ある日の坐禅中、如浄禅師は居眠りする僧を見て、「坐禅は身心脱落である」と言いました。その言葉を聞いた時、道元禅師は真実なるものをしっかりと見届けることができたと伝えられています。   この文章を読むと、寝ている修行僧を見た如浄禅師は「身心脱落だ」と認めたように受け止められるでしょう。それを聞いた道元禅師は、「なるほど、寝るのが身心脱落」なのか、と。 恥ずかしながら、この誤りにきづいたのは校了ギリギリでした。 結果、以下の訂正をしていただきました。   ある日の坐禅中、如浄禅師は居眠りする僧を見て、「坐禅は身心脱落である。眠りこけてどうするのだ」と一喝しました。その言葉の響きに触れた時、道元禅師は真実なるものをしっかりと見届けることができたと伝えられています。    ...

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1月 21日 深い関わりを持つ他者

  わずか2000字程度の原稿を七転八倒しながら、また、己を呪いながら過ごす時間。 何にも浮かばず時間が過ぎる。 かといって、寝ることもできもない。 まぁ、幸いに脱稿したけれども、その零れ落ちた部分。 書けなかったところの備忘。   情愛が深く絡む他者は、特に気をつけなければなりません。 もちろん、何かを失った時に支えてくれる家族や親族、友人や恋人がいればとても素敵なことでしょう。   勝海舟は『氷川清話』で「人間の覇気を減らすのに、一番力のあるものは、内輪の世話や心配だ。外部の困難なら、たいていな人が辛抱もするし、またこれがためにますます勇気が出るといふこともあるが、親兄弟とか妻子とかいふやうな内部の世話には、みんな根気を無くしてしまふものだ。どんな大悪人でも、恩愛の情には流石に脆いもので、この情といふ雨露に打たれると、忽ち弱つてしまふものが多い。」と指摘しています。   ・・・出版の際は、改めてお知らせいたします。    ...

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9月 17日 自分中心のことばかり

  産経新聞 平成21年7月16日 朝の詩 より 草抜き    兵庫県養父市 米田啓祐 70歳 庭の草を抜いていると 頭の中に 次々と わき出てくる ことがある   よく見ると 自分中心のことばかり   いっしょに 抜いてしまおう と思うが 私という大地に 深く根ざしているのか なかなか抜けない       ジャン・バニエ『小さき者からの光』 「私たちは、ある人には優しく接するのに、ある人には脅威を感じることがあります。思いもかけない、険悪な仲になる人と出会うこともあります。しかし、じつはそのような人は、私自身の内に隠されている苦悩や憎しみ、恐れや怒りを、白日のもとに引っ張り出し、暴露したにすぎないのです。」...

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7月 16日 『夜と霧』 テヘランの死神

『夜と霧』V・E・フランクルにある「テヘランの死神」の件です。 この話は、私たちが下す判断というものは案外と頼りにならないものであるという視点を与えてくれます。 決して、安易な運命論に堕してはなりません。 裕福で力のあるペルシア人が、召使いをしたがえて屋敷の庭をそぞろ歩いていた。すると、ふいに召使いが泣き出した。なんでも、今しがた死神とばったり出くわして脅されたと言うのだ。召使いは、すがるようにして主人に頼んだ、いちばん足の速い馬をおあたえください、それに乗って、テヘランまで逃げていこうと思います、今日の夕方までにテヘランにたどりつきたいと存じます。主人は召使いに馬をあたえ、召使いは一瀉千里に駆けていった。 館に入ろうとすると、今度は主人が死神に会った。主人は死神に言った。 「なぜわたしの召使いを驚かしたのだ、恐がらせたのだ」 すると、死神は言った。 「驚かしてなどいない。恐がらせたなどとんでもない。驚いたのはこっちだ。あの男にここで会うなんて。やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに」 ※ 備忘 ドストエフスキー わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ   ニーチェ なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える   スピノザ ひるがえって、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。「生きていることにもうなんにも期待がもてない」こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのだろう。...

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4月 02日 スピリチュアルケアについての小さな省察

  人間はスピリチュアルペインを持ち得る存在であるといえる。生死の痛みや疼きは、生き辛さやどうにもならない困難と出会ったり、病や死を突き付けられたり、罪の意識や自責の念に苛まれたり、価値観や死生観が揺らいだりと個々人で異なるものである。     Death is not medical issue, but human issue.この「human issue」にから目を背けない態度が「スピリチュアルケア」であるといえよう。だから、「スピリチュアルケア」は、何かを治すことが目的ではない。その人の苦しみを取り除こうとしたり、説明をしようとしたり、理解したりすることですらなく、少しでも光のある方向に向かうことを祈りながら、その人の傍らにいて耳を傾けることである。そして、自己と他者には根源的な隔たりがあり、また、人生には誰も答えることが出来ない問いがあることを承知したうえで、それでも尚、そこに止まるのである。そのためには、まず自己と他者に対する「信頼と尊敬」がなければならない。     この姿勢は自己を差し出すことであり、その人と抜き差しならぬ関係を生む。そこで発せられた「支持・明確化・対峙」の言葉や頷きや沈黙、その人と過ごす時間や空間のはたらきなどによって、ビリーフの再構築がもたらされたり、生の意味を再発見するようなダイナミックな力が現れたりもする。それは、苦しみに呻吟する「今・ここ」であったとしても、人生を投げ出すのではなく、「それでも生きていく」視座と勇気を得る大きな出来事となるのである。    ...

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2月 17日 「他者の苦悩に共感する」とは

「他者の苦難に共感する」とはどういうことかという問いに対し、私は『妙法蓮華経』「如来寿量品」良医病子の喩にある言葉、「常懐悲感 心遂醒悟~常に悲感を懐いて、心、遂に醒悟す~」に答えがあると思います。 これは、あなたのその悲しみが、あなたをして必ず真実なるものに導くという意味です。ただしそのためには、その悲しみを抱き続けなければならないとします。これは一見、突き放したような物の言い方のように感じるやもしれませんが、自己と他者の課題を分けながら、横の関係の視点を持ち続ける大切さを現している言葉だと理解するからです。 かの大震災以来、優しいイメージを持つ「絆」という言葉を旗印に、他者に寄り添う、他者の苦難に共感するということが容易く発信されていることにいささかの違和感があります。方向性としてはいい、言葉としては受けいれやすい、でも、苦難の原点は思い通りにならないことにあります。 昨年の10月に、私はとてもつらい御葬儀をいたしました。故人様は、36歳の奥様でした。ご主人と受験を控えた中学校3年生と中学校2年生の年子の兄弟を遺しての旅立ちでした。伺えば、奥様は昨年の正月頃から胃が痛いと訴えていたそうです。けれども、病院には行かずに、市販の胃薬を飲んでいた。4月中旬、家族で東京ドームに行った日、「お腹がすいたから、お弁当を食べよう」と弁当を広げた時、奥様が呟いたそうです。「お腹がすいているのだけれども、なんだか食べる事ができない」 その時はじめて、これはおかしいと家族の誰もが思った。翌日病院で検査の結果は、癌が進行し、もってあと半年との宣告であったそうです。出棺の際の御主人のお言葉に、私も思わず涙いたしました。御主人はお位牌を力いっぱいに握りしめながら、絞り出すような声でこう仰いました。 「なぜ妻がこんな目にあわなければならないのですか。一生懸命生きてきて、優しい妻だった。それが、なぜこんな目に遭わなければならないのか解らない。誰か教えてください」 この問いへ、他者が答えるのは難しいことです。自分自身を納得させることはできても、今、この御主人に納得していただけるような答えは、だれも持たないでしょう。この苦難に共感するとは、簡単に言えるものではありません。 しかし、精進落としの席で「いまは悔しいけれど、時間が忘れさせてくれるよ」の言葉を耳にした時、今、私が僧侶として伝えなければならないことはこれだと確信しました。 時薬、日薬という言葉があるように時間が悲しみを癒すとも言われますが、その一方で、時間がたってから一気に悲しみに沈んでしまう方がいるなかで、悲しみを乗り越えるとか、悲しみから立ち直るという言葉は、本当はそぐわないと思います。 すなわち、寄り添うとはただその場にいることではなく、他者の悲しみや苦しみという言葉を借りた自らの煩悩に向き合う努力を意味し、共感とはただ頷くことではなく、他者と自らの埋まらない違いに戸惑いながらも、共に明るい方向へと進む意思だということ。 ですから、「常懐悲感 心遂醒悟~常に悲感を懐いて、心、遂に醒悟す~」悲しみは抱き続ける智慧と勇気を持つことが大切であり、自分自身の学習と訓練、智慧と勇気を深め、「だけど、生きる」「だけれども、生きる」の視点を共有すること、それが他者の苦難を共感することにつながるのではないかと考えます。
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1月 09日 挫けない

今年いただいた年賀状の傑作。 どんなに素晴らしい名画よりも、どんなに素敵な宝石よりも、もっともっと大切なものを持っている。 どんな時でも、どんな苦しい場合でも、愚痴を言わない。 参ったなどと泣き言はいわない。 そんな一年を過ごしていきたい。     サマンサ小野会長 正月二日18時頃、近所のスーパーでの出来事。 賑わう店内に、大きな声が響いた。「万引きだ、捕まえろ」 二人の男が凄まじい勢いで、出入り口へと走る。 一人は万引きをした男、もう一人は、それを見つけた客の男。 しばらくして、客の男が、70歳を超えたと思われる男性を引き連れて得意げに店内に戻り、言い放った。 「店員さん、こいつは万引きをしました。」 ・・・トマト、三個。 彼の事情は知らない。動機も聞きたくはない。 ・・・挫けない。 もう道がないと思っても、案外、ないところにも道がある。 そう、何もないところからでも、はじめられる。
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6月 20日 沈潜

『運を活きる ~一息の禅が心を調える~ 』を上梓して、ひと月あまり。 お世話になっているご老師から励ましのお言葉を頂戴したり、懐かしい友人から連絡があったり、新しくお会いするご縁に恵まれたり、本を手にして坐禅会に参加される方もいれば、手紙をくださる方もいます。 また、耳の痛いお言葉を投げかけられたり、思いもよらぬ捉え方をされたり・・・いずれにせよ、おかげさまで、多くのご縁をいただいております。 先日、恩師より、水葵の写真のついた葉書を頂戴いたしました。 謹啓 新緑の候 玉書を御恵贈下され、誠に有難うございます。 私は、人間的な思い、要求をすべて蹴飛ばしたところに真実の仏法があると思います。 俗僧にならぬように願います。 敬具 ・・・しばし言葉を失いました。 俗僧には違いないのだけれども、沈潜の時節だな、と。 そう、向かうべき相手は、他より自己。禅定力を養い、祖録に親しむこと。
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11月 07日 衣の色

笑い話ではないのですが・・・ 友人のお寺に呼ばれて、法話をした布教師さん。 お檀家さんが100人程度集まって、1時間半ほど彼のお話を聞いたそうです。 話し終えて、控室に戻った布教師さん。 そこに、お寺の総代さんが挨拶にきました。 「今日は、ありがとうございました。 いやぁ~今日の法話は素晴らしかった。わかりやすかったです。とてもいいお話でした」 誉められて、悪い気がしない布教師さん。 喜色満面で、思わず問うてしまいました。 「そうでしたか。どこが、よかったですか?」 しばしの沈黙の後、総代さんがポツリと一言。 「・・・お衣の色が・・・」 先月末、高円寺に行きました。 笑福亭鶴瓶さんの唄つるべ~トーク&ライブを観ました。 ゲストは、シンガーソングライターの石野田奈津代さん。 唄つるべとは、鶴瓶さんがトークして、ゲストはその頃合いをみて歌うというスタイルです。 トークに応じて歌があり、歌に応じてトークがあり、台本なしの一発勝負。 それぞれに思いをさらけだし、お客さんが笑いや涙で応える。 伝えたい想いと響く力が結集した場。 おそらく、あの場にいた方は、とても温かな素敵な時間を過ごしたでしょう。 恥ずかしながら、私も御縁をいただいてお話する機会があります。 不肖ながらも、お声をかけていただいた御縁を尊んで、どこにでも行ってます。 話している途中、急に、何も言葉が出てこなくなった事がありました。 また、お叱りの手紙をいただいた事もあります。 慙愧の涙を流した事もあります。 発声やスピード、間の取り方やアイコンタクト、話術と表現、そして、「上手に話したい」という気持ち。 それらは大切な事だけど、しかし、そこにはまず、「伝えたい想い」がなければ響かない。 その「伝えたい想い」を、もっと純化していかねばならないなと感じる11月です。 温かな時を作る事ができるだろうか? 何か一言でも、届く言葉を投げかけているだろうか? 「衣の色」になっていないだろうか?
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