大童法慧 | 平成27年 年頭
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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1月 01日 平成27年 年頭

真言宗中興の祖、興教大師覚鑁が、腐敗した金剛峯寺の内紛に憂いを懐き、密嚴院において3年余り無言行を修行しました。そして、その直後、一筆のもとに書き上げたと言われるものが「密嚴院発露懺悔文」です。
内紛にあって、師はどちらかに与することなく、かといって、巻き込まれることを怖れ逃げ出すこともありませんでした。
自らに利がある方に肩入れをすることもなく、「阿保らしい」と高みの見物をするのでもなく、ただ無言の行をされました。
そして、その懺悔文に記されたのは他者の批判ではなく、自らの至らなさの叫びでした。
私たちは、自らのご縁で様々なサークルの中で生きています。
家庭、地域、会社、学校、友人、国、地域・・・
でも、そこはHappyなことばかりが起きるのではありません。。
離婚、騒動、派閥、いじめ、裏切り、戦争、紛争、たとえどんな事が起きたとしても・・・
その出来事を他人事としない姿勢を保ちたいものです。
この一年、共に逞しく歩みを進めましょう。
密嚴院発露懺悔文
我等懺悔す 無始よりこのかた
妄想に纏はれて衆罪を造る
身口意の業 常に顛倒して
誤って無量不善の業を犯す
珍財を慳悋して施を行ぜず
意に任せて放逸にして戒を持せず
しばしば忿恚を起して忍辱ならず
多く懈怠を生じて精進ならず
心意散乱して坐禅せず
実相に違背して慧を修せず
恒に是の如くの六度の行を退して
還って流転三途の業を作る
名を比丘に假って伽藍を穢し
形を沙門に比して信施を受く
受くるところの戒品は忘れて持せず
学すべき律義は廃して好むことなし
諸佛の厭悪したもうところを慚じず
菩薩の苦悩するところを畏れず
遊戯笑語して徒らに年を送り
諂誑詐欺して空しく日を過ぐ
善友に随はずして癡人に親しみ
善根を勤めずして悪行を営む
利養を得んと欲して自徳を讃じ
勝徳の者を見ては嫉妬を懐く
無徳の人を見ては驕慢を生じ
富饒のところを聞いては希望を起す
貧乏の類を聞いては常に厭離す
故に殺し誤って殺す有情の命
顕はに取り密かに盗る他人の財
觸れても觸れずしても非梵行を犯す
口四意三互に相続し
佛を観念する時は攀縁を発し
経を読誦する時は文句を錯る
もし善根を作せば有相に住し
還って輪廻生死の因と成る
行住坐臥知ると知らざると
犯すところの是の如くの無量の罪
今三宝に対して皆発露したてまつる
慈悲哀愍して消除せしめたまへ
皆悉く発露し尽く懺悔したてまつる
ないし法界のもろもろの衆生
三業所作のかくの如くの罪
我皆相代って尽く懺悔したてまつる
更にまたその報ひを受けしめざれ


MEMO
1、 山城屋文政堂編


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