大童法慧 | 400字で、死について考えること 
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
16492
post-template-default,single,single-post,postid-16492,single-format-standard,ajax_fade,page_not_loaded,,vertical_menu_enabled,side_area_uncovered_from_content,qode-child-theme-ver-1.0.0,qode-theme-ver-7.2,wpb-js-composer js-comp-ver-5.0.1,vc_responsive
 


9月 03日 400字で、死について考えること 

死についての判定や定義は文化、時代、分野で異なります。また現今は、脳死という問題を避けて通れず、尊厳死、安楽死という選択枝も増えました。しかしどちらにせよ生の謳歌を最上とする社会では死と生は断絶され、死は嫌われたままです。

 

僧侶でもあった種田山頭火は、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり(修証義)」と前書きして、「生死のなかの雪ふりしきる」と詠みました。彼は「雪ふりしきる」日々に、「生死とは何か」という問いを生き、そして、生と死は対立するものではなく、生も死も「他ならぬ私」の在り様のことなのだと気づきました。どこにいても止むことはない雪を嫌わないと覚悟した時、己のなかにどんな人生をも否定しない逞しい力が備わっていたことを知ったといえます。

 

生命倫理の分野上、SOLとQOLが統合された大きな概念は未だありません。だからこそ、宗教的見地からの智慧を学ぶことを放棄してはならないと考えます。

 

 


コメントはありません

コメントを残す