4月 14日 満月の夜の坐禅会3月31日講話 冒頭部
それでは、言の葉をご覧ください。1番を、まず、声に出しましょう。
私が先導いたします。
1、 体の中に
光を持とう
どんなことが起こっても
どんな苦しみのなかにあっても
光を消さないでゆこう 坂村真民
手放す 離れる 調える
ありがとうございます。
今日は、岩瀬書店富久山店において、第五教区青年僧による納棺体験とデスカフェに行ってきました。デスカフェ、大都市圏では行われていますが、福島県、すくなくとも郡山では初めてではないかと思われます。
そのデスカフェや納棺体験にも参加されたうえ、この坐禅会にも参加してくださっている方もおられます。心より感謝申し上げます。
私は、このお寺に昨年の6月に戻ってまいりました。8月から坐禅会、また、今年から、15の夜の法話会を年に4回ほどしようと準備しております。法話会は3月15日に第1回目を終えました。
そして、今日の納棺体験とデスカフェ。
実は、もともとの企画ではありませんでした。昨年、岩瀬書店さんから、今回のリニューアルオープンに伴って、なにか講演会をしてくれと依頼を受けたのです。講演会をするのは簡単だったんですけれど、やはり、この地域全体を巻き込みたいな、という想いがあったのです。だから、曹洞宗の同世代の、同じ郡山の和尚さん方にお話をして、今回の企画につなげました。
本当のことを言うならば、正直に申し上げるならば、こんな坐禅会、法話会、デスカフェ、、、、、しなくてもいいのです。する必要はないでしょう。実際、曹洞宗のお寺で坐禅会をしているなんてところは、あまりません。
坐禅会、法話会みたいなことはしないで、葬式坊主らしく、一生懸命に法事と葬式をしていればいいと思うのです。
しかし、それでも坐禅会をしたい、法話会をしたいというのは、なぜだろうか。言の葉2をご覧ください。これも声に出しましょう。
2、 佛知見の開示悟入
ありがとうございます。実はね。これは、本当に凄い言葉なんです。皆さん、今、簡単に目にされ、口にされましたけれども、実は、この言葉に巡り逢うためにどれほどのご苦労をなさったのか、と。この言葉に出逢うために生まれてきたとも言ってもいいぐらいの言葉だと思うのです。
佛知見とは、仏のものの見方のことです。開示悟入とは、開は「藏の戸を開くが如く」、示は「藏の中の宝を見るが如く」、悟は「藏に在る宝を一々記憶するが如く」、入は「藏に入って自由に宝を手にするようなもの」です。
佛知見の開示悟入について、『法華経』の「方便品」にこんなお示しがあります。言の葉3をご覧ください。これも声に出しましょう。
3、 諸佛世尊は唯一大事の因縁を以ての故にのみ世に出現したもうと名づくるや。諸佛世尊は、衆生をして佛の知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したまふ。衆生に佛知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまふ。衆生をして佛知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したまふ。衆生をして佛知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまふ。舎利弗、是を諸佛は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したまふとなすなり。 『法華経』「方便品」
ありがとうございます。
諸仏世尊とは、ざっくりと仏様だと思ってください。その仏様方は、私たち凡夫に、仏のものの見方を開示悟入させるためにこの世に現れたというのです。そして、もう一歩踏み込むならば、私たちは、その仏のものの見方を学ぶために、この世に生まれてきたのです。
ちょっと、スケールの大きな話で、困惑される方がいらっしゃるかもしれません。ただね、この坐禅会も、法話会も、そんなつもりで行っているなんだなぁ、そして、そんな気持ちで行っているところに参加しているんだなぁと思ってくれたらありがたいです。
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