7月 13日 満月の夜の坐禅会6月17日講話 まとめ
ありがとうございます。
少し難しい所があったかもしれません。
言の葉5をご覧ください。声に出しましょう。
懺悔とは因縁性空を体得すること。
難しいですね。皆さんに馴染みのある般若心経には「空」とか「無」という語がたくさん使われています。このわずか二百六十余文字の経典の中に「無」は二十も出てきます。「空」は七つです。ちなみに「不(ふ)」という語も九つあります。
無といわれると、何にもないことであり、空と言われると、空っぽだと思ってしまいがちですが、実は、違うのです。
模範的な回答を申し上げれば、「空」という言葉が示す「何もない」とは、すべての物体は物質が集まってできた「状態」にすぎず、そこに不変の本体とでもよぶべき固定的な自性は「ない」という意味です。
でも、わかりづらいですね。
だから、私は、空とは身びいきしないことだと、お伝えしております。
空とは、身びいきしない事だ、と。つまり、五欲から離れる。
五欲とは、私たちにある欲、財欲・色欲・食欲・名誉欲・睡眠欲の五つ。
ありますよね。
お金は欲しい、異性にモテたい、美味しいものを食べたい、バカにされずに誉められたい、そして、ラクをしたい。
私も、そうです。
でも、五欲を満たすのみの人生では、もったいないと気づく。
なぜならば、五欲を満たすのみの人生では、本当の安心がないからです。
比較の人生に、安らぎはない。
それに気づいた私たちは、仏の教えを学ばないでおられなくなる。
煩悩だらけのこの身体であっても、また、文字通り七転八倒しながらも、この身体でもって、真実なるものを求めないでおられなくなります。
それは、身びいきしない生き方の実践。
そこは、自分という塊を手放した世界です。
そこに、般若の智慧のはたらきが現れる。
言の葉6をご覧ください。声に出しましょう。
とらわれない こころ
かたよらない こころ
こだわらない こころ
ひろく ひろく
もっとひろく
これが般若心経
空のこころなり
ありがとうございます。高田好胤さんの言葉です。
空とは、何にもなくなることではないのです。
どこまでも、自由になることです。
そのためには、身びいきをしない。
身びいきをしないところから、はじめていく。
それでは、合掌をお願いいたします。 【普回向】
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