大童法慧 | 仏道無上誓願成 ~それでも、生きる~
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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11月 09日 仏道無上誓願成 ~それでも、生きる~

 

思うところあって、ブログを再開いたします。緩い更新にはなるでしょうが、、、よかったら、おつきあいください。

曹洞宗福島県宗務所 テレホン法話  11月16日から11月30日まで    電話 024-563-7600

 

 

仏道無上誓願成 ~それでも、生きる~

 

先日、34歳の男性の御葬儀を執り行いました。交通事故でした。昼間、彼は自転車に乗っていた。そこを車にはねられた。2日間、ご親族は奇跡を祈りましたが、意識を取り戻すことなく息を引き取りました。

 

葬儀の日、それは彼の息子さんの1歳の誕生日でした。実は、その日、彼は息子さんとパートナーさんと3人で東山温泉に一泊する予定でした。その旅を契機に籍を入れ、家族になろうと計画していたのです。

 

人生というものは、時にとても残酷です。その日、その場にいなければ、事故に遭うことはなかったでしょう。いや、数分でもずれていれば。もし、車のスピードが緩かったならば。せめて、当たった角度が異なっていたならば。

 

しかし、どんなに嘆いても、取り返しがつかないのです。やはり、起きてしまったことは、なかったことにはできません。

 

突き付けられた厳しい現実に混乱し、憔悴しきったパートナーさんに、未徹在な私は祖師のみ教えを届けることができませんでした。唯一、「それでも、生きていきましょうね」とお声がけをいたしました。

 

人生には途方に暮れて立ち尽くしてしまうしかないという事柄があります。誰もが限界状況と対峙しなければなりません。しかし、仏縁に触れた私たちの誓いの一つ、仏道無上誓願成は、それぞれの場所で各々の課題を果していくのならば、お釈迦様の観た景色を手にすることができるのだよ、と勇気づけてくれます。

 

「それでも、生きる」、共に励んでまいりましょう。

 

 


1個のコメントがあります
  • 森山 雪子
    Posted at 22:20h, 10 11月 返信

    年齢、状況にかかわらず人は死ぬんですね。
    亡くなられた方も残された方も、本当に辛く、これから先のことを思うと、言葉もありません。私は、息子の死を決して無駄にしない、豊穣の喪にしていくと強く心に決めて、息子の急死後の日々を過ごしてきました。
    大変な時ほど、どんな人かどんな場かわかると思います。亡くなられた方と本当に親しかった人、本当に好きだった人が、残された方の力強い味方となると思います。
    心から信頼できる人、本当にいい人とのご縁で、息子さんがすくすくと成長していくことを願ってやみません。

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