11月 30日 満月の夜の坐禅会 81回目冒頭部
それでは、言の葉をご覧ください。1番を、まず、声に出しましょう。
私が先導いたしますので、それに続いて読んでください。
1、 体の中に光を持とう
どんなことが起こっても
どんな苦しみのなかにあっても
光を消さないでゆこう 坂村真民
手放す 受け取る 調える
ありがとうございます。
9月16日の朝8時半頃、私の携帯に電話がありました。
出ると、警視庁捜査二課の森と名乗る女性でした。
彼女は、私に携帯の番号と名前を確認したうえで、「最近、新潟に行ったことはありますか?」と問われました。
新潟にはしばらく行ってないけれど、と応えましたら、「実は、、、新潟県警にあなたに関する事案があり、速やかに出頭してください」と言うのです。
正直な話、めんどくせえなと思いながら、「私は新潟に住んでいないから、すぐには行けませんよ」と応えたら、、、「あなたは事件の参考人です。もしかしたら、容疑者になる可能性もあります。ですから、速やかに新潟県警まで身分証を持参の上、出頭してください」と、まくしたてるのです。
朝の忙しい時間ですから、もう打ち切ろうと思いまして、私はその女性に告げました。「警視庁の二課がIP電話で連絡してくるのですかね?まして、新潟県警が私に用があるのなら、新潟県警から連絡すればいいんじゃないのですか。また、どうしても、出頭させたければ、紙きれを持ってきてください」と言いましたら、「紙切れって何ですか、そんな態度でいいのですか」と説教するのです。
だから、言ってやりました。
「私の兄が万世橋署の偉いさんだから、この電話番号とあんたの名前を告げて調べてもらうから、、、」と。
本当は、私には兄はおりませんが、、、そうすると電話を切られてしまいました。
これ以降は、警視庁からも新潟県警からも連絡はありませんが、朝から気分を害してしまいました。
でも、ふと思ったのです。
私に電話をかけてきた女性。
口調や話し方、声の質を考えれば、おそらく40代から50代の方でしょう。
40や50にもなって、こんなことで生計を立てているのか、と言えば、大きなお世話だと叱られるかもしれませんが、、、、いい歳をした者が、祝日の朝っぱらから詐欺を働くことでしか生きられないというのも、哀れだなと思うのです。
そして、おそらくこの女性は一日中、警視庁の捜査二課を名乗って、あちこちに電話してるのでしょう。
また、もしかしたら、この女性に騙される人もいるのでしょう。
皆さんもご存知のように、人間というものは、お金がなければ生きていけません。
また、この世には、お金で済む事柄も、お金がなければ解決できない事柄も多々あります。
でも、叶うならば、お金に頭を下げるような人生を送りたくはないですが、、、暮らしというものは簡単ではありません。
じゃあ、この娑婆世界に、私たちは何のために生まれてきたのだろうか?
ただ、食って、寝て、笑って、明るく楽しく過ごすために生きているのだろうか?
そして、そのために、四苦八苦しながら、今を生きているのでしょうか?
思うのです。
様々な人生がありますが、それでも、私たちには生まれてきた意味があるのだ、と。
いつか必ず死んでいかなければならない命を生きる意味があるのだ、と。
そして、たとえ、砂を噛むような苦い日々を送ることになったとしても、また、誰かに恨み続けられる状況になったとしても、それでも生き抜いていかなかければならない命を私たちはいきている、と。
言の葉2をご覧ください。声に出しましょう。
佛心とは大慈悲であります
佛心は この世の一切のものに みちみちて おります
すべての人 すべてのものに 内にも外にも みちております
幼くとも 若くとも 老いても いつも つねに いっぱいに みちております
この 佛心こそ 真実であります
この真実を求める心は 誰でも持っております
いつも 自己のすべてを尽くして 一切の為になろうと志す 大慈悲の心こそ
すべての人の いのちの 原点であり よろこびの母であり
幸せのふるさとであります
永遠に 不滅の光明であり 佛身であり 佛心であります
この佛心に目覚めることこそ すべての人々の悲願ではないでしょうか
ありがとうございます。
これは、私の頭を剃っていただいた師匠、原田湛玄老師がよく示されていたことを、ある修行僧が詩としてまとめたものです。
佛心に目覚める、と聞いても、、、なかなか刺さらないかもしれません。
家族4人、ローンを抱え、小遣いを切り詰め、子供を育て、親に仕送りをする日々の中で、「佛心」と言われても自分とは関係ないと感じる人も少なくないでしょう。
でもね、、、、驚かれるかもしれませんが、、、、
そのあくせく働く毎日も、、、朝っぱらから詐欺の電話をかけ続けなきゃならない状況も、、、、実は、仏心に目覚める糧となるです。
金を儲ける、人を騙す、誰かに施す、誰かを愛し、慈しむ、、、、それら、すべて仏心に目覚める糧となるです。
頭剃って、衣を着て、寺に住んで、坐禅をして、お経を読むことだけが仏心に目覚めるための方策ではありません。
皆さんの毎日の暮らし、そして、沸々と湧き襲ってくる感情、それらもまた、仏心に目覚める糧となるのです。
だからこそ、それぞれの場所で各々の課題を果していく。
でも、もしかたしたら、この糧となる、、、という表現にも違和感を感じる人もいるでしょう。
とてもそんなことを頷くことはできないよ、と仰る方もいるでしょう。
でも、覚えておいてほしいのです。このようなものの見方もあるということを。
今は納得できなくても、このようなものの見方を学得すれば、真っ暗闇の中に一条の光を手にすることができるのです。
1週間前のことです。
私の同級生が、脳梗塞で倒れました。救急車で南東北病院に運ばれたのだけれども、受け入れてもらえなくて、星病院に行きました。
そこで手術をして、ICU集中治療室に入りました。その翌日、意識が戻らぬまま一般病棟に移されました。
この経緯に、医療関係者ならば、お気づきになることもあるでしょうが、彼はまだ意識が戻っておりません。
目を開くことはできたようですが、面会の息子さんを見ても、誰かわからぬ様子のようです。
彼は私と違って、とてもスマートで、活動的です。
運動を好み、ゴルフをし、ツーリングを楽しみ、また、毎日、温泉に入って身体のケアをしていました。
が、その日、突然、病に倒れた。
おそらく何らかの兆候はあったのでしょうが、わからないのですね。
自分の身体であっても、自分がそうなるとはわからない、お互いです。
言の葉3をご覧ください。声に出しましょう。
いつか必ず終わる
いつもそばにいてくれる人とも いつかはお別れすることになる
自由に動かせる体も いつか動かなくなる
見飽きているものも いつかは 見れなくなる
しかし いつかできなくなることも 今ならできる
今なら そばに居てくれる人に 「ありがとう」と言える
見たい景色も見に行ける
できなくなる日は 突然やってくる
その日までに 今できることを やってみる
やらなかったことを 後悔しないように 今を大切に
ありがとうございます。これは、ネットによく出ていた記事です。
皆さんにお尋ねいたしますが、、、、いつか必ず終わる、、、、これは誰の事でしょうか?
そう、私のことです、あなたのことです。
厚生労働省の報告では、令和5年の日本の死亡者数は、157万5936人です。
つまり、一日、およそ4400人の方が亡くなっています。
どうでしょうか?
私たちは、頭ではわかっているのです。
生まれたら死ぬ、会えば別れることを。
でも、多くの人は、なんとなく、今日も明日も来年も、元気で楽しく、明るく困らずに生きている自分を想定しております。
でも、いつか必ず終わるのは、、、、多くの場合、突然です。
以下 略
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