12月 21日 満月の夜の坐禅会 83回結語部
例話、前段は略
確かに、不幸せよりも幸せになりたい。お金に困るよりも、楽して暮らしたい。悲しい思いよりも、楽しくありたい。
みんなそうですよね。
でも、その願いを叶えるためだけに、神さまや仏さまがいるのだろうか。
少しだけ、脅すようなことをお伝えしますが、、、、
仏さんや神さまの願うことは、私たちの物質的な豊かさや一時の悦楽ではなくて、私たちが真実なるものに気づくことを願っているのです。
でも、私たちは、炉辺の幸福、即ち、現実の暮らしの豊かさばかりを願っていますが、仏さんや神さんはそうではないのです。
さきほどの、パターチャーラーさんも、お釈迦様とご縁を得て尼僧になったけれども、じゃあ、その後の人生は毎日ハッピーだったかというと、そうじゃないと思うのです。
生きているのだから、様々な事柄や課題が現れた。
生きているのだから、老いや病や死から目を逸らしてはならなかった。
でも、彼女は核となるものを手にしたから、この世には真実なるものがあると知ったからこそ、彼女はどんなことがあっても、それを糧にして生きていけた。
私自身もそうです。
坐禅をしても、頭を剃って僧侶になっても、毎日が幸せな事ばかりが起こっているか、というとそうではありません。
数年前、私は修証義の解説本を書き始めた頃に作った詩というか、想いを綴ったものがありあります。お聞きください。
どこに続いているかわからない道
痛みと哀しみを手に独り寂しく歩く
そこにいるのは私独りだけ
もしそれでも「神も仏もいる」と感じるのならば
私は独りではない
ありがとうございます。
当時、私は、手にしていたものを全て手放さなければならなくなりました。
その時、祈りました。願いました。
どうか助けてください、と。
けれど、現実は変わりませんでした。
いや、むしろ、もっとひどい話になってしまった。
なんだ、神も仏もいないんじゃないかと心底思いました。
でも、還俗することもできなかった。
なぜならば、こんな私でも、必要としてくれた人がいたからです。
実際、今の私の暮らしも、悲惨なものです。とても詳しくは語れません。
でも、その一方で、こんな私でも、友でいてくれる者もいますし、また、支えてくださる人もいます。
また、私のことを、御老師様と呼んでくれ、頼ってくださる方もいらっしゃる。
如来様の住んでいる場所は 私の苦しみの真っ只中
大峯 顕さんは、浄土真宗の僧侶であり、哲学者であり、俳人です。
だから、この如来様というのは、阿弥陀如来のことです。
けれども、如来さまという表現が、神様でもいい、仏様でもいい、ご先祖様でもいい、something greatや大いなるものでもいい。
ご自身の信仰なさっている神仏、ご自身が感じ取れるものでいい。
この私と共に住まう、この私の中に住まう如来様がいる。
だからこそ、この現れた現実、それがたとえ思い通りにならないものであったとしても、たとえ目を覆いたくなるような、立ち尽くしてしまうしかないような辛いものであったとしても、それには意味があるんだ、と受け取ることができる。
そして、もう一度、頑張ろう。
もう少し生きてみようか、と思う。
作家の曽野綾子先生のご友人から伺った話があります。
ある時、曽野先生が教会で司祭に「神様はどこにおられるのですか?」と尋ねたそうです。
すると、司祭がこんなふうにお答えになられた。
「神は、あなたが嫌う人、あなたが苦手だなと思う人の中におられます」
それを聞いた曽野綾子先生は、「神様はなんて意地悪なんでしょう」と仰ったそうです。
如来様の住んでいる場所は 私の苦しみの真っ只中
神様の居場所は、私が嫌う人、私が苦手だなと思う人の中
そう、だからこそ、私たちの身の上に起こる、一見、マイナスだと思われるようなことさえも、それらは私たちを育て、真実なるものに気づくように、佛さんや神様の計らいでもあるのです。
このことを共に覚えておきたいのです。
私たちは、それぞれの場所で、それぞれの今ここを生きるしかありません。
あの人のように生きたいなと思っても、あの人の人生を生きることはできない。
不完全で不合理で愚かな私は、世間的には評価されません。
でも、不完全で不合理で愚かな私だからこそ、如来様と、神さんや仏さんと出逢い、共に生きることができるのです。
だからこそ、どんなことがあっても生きてなさい、生きていきなさいという仏さんの呼びかけに耳を澄まし、こんな私でも、共にいてくださる、という安心を胸に、それぞれの課題に取り組んでいきましょう。
ありがとうございます。
生きてなさい、生きていきましょう、生き抜きましょう、これが今の私の一番お伝えしたいことです。
四大不調ということで、今日は、言の葉も用意できませんでしたが、皆様の心に何か一つでも響くものがあれば、嬉しく思います。
今年も残すところ、あと2週間です。早いですね。
どうぞ、それぞれの課題を果し、健康にご留意されながら、新たな年をお迎えください。
また、坐禅をしたいなと思われましたら、お越しください。
まだ、しばらくは続けるつもりです。
【普回向】
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