大童法慧 | 法話
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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法話




8月 29日 置き場所

以前、葬儀相談員の市川さんが発行する「相談員がつぶやく「お葬式」のハナシ NO.065 」のなかで、以下の回答をしたことがあります。 ここのところ、同様の質問をいただく事が多いので、その時のものを加筆訂正し、掲載します。 [問] 我が家では、仏壇の上に祖母の遺影を飾っていました。 ところが、「その飾り方はよくない」と知人に指摘されました。 そんな時、不幸が立て続きにおきたので、両親が遺影をしまいました。 遺影を飾ってはいけない場所などあるのでしょうか? [答] お仏壇の上に遺影を飾る事と、不幸が立て続けにおきた事との因果関係は、全くありません。 何々をしてはならない教えが、仏の教だと受け止めている人も多いですが、実は、そうではありません。 人間が、本当の、自由な、何ものにも騙されない人間になる教えこそが、仏の教です。 戒律もありますが、人間を縛ったり窮屈な思いをさせる為のものではないのです。 お祖母様を偲ぶお心で、その場所に遺影を飾ったのに、知り合いから指摘を受けたとの事。 この指摘した方も、おそらく、何故よくないのかは説明できないでしょう。 こんな、心無い一言に惑わされたり、引きずられたりしない事こそが、仏の教えです。 遺影の置く位置は、仏の教えにはありません。 しかしこう申しあげても、実際に、気になさる方は気にされます。 この相談者のご両親は、遺影を外し、どこかにしまったとの事。 これもまた、仕方のない事だと思います。 この状態で「因果関係は何もないよ」と申し上げたところで、おそらく、聞く耳をもたれないでしょう。 それにこだわって、喧嘩をするのもまた、よくない事ですね。 ひとまず、ご両親の意思を尊重しましょう。 そして、時期を見て住職さんに尋ねたり、これを機に仏教にふれる機会を持たれてはと思います。 大好きだったお祖母様の写真は、フォトスタンドなどに入れて、机に置くこともできますよね。 似たような話に、水子やご先祖様のたたりだとかありますね。 それで、高額の絵や数珠などを買わされる。 子がその母を恨んだり、先祖がその子孫を憎んだりすると思いますか? むしろ、その逆でしょう。 人は弱い者でもあります。 思い叶わぬ事があると、何かのせいにしてしまいがちです。 そんな時こそ、真実を冷徹な目をもって、ものを見る事が大切じゃないでしょうか。 そして、その冷徹な目こそが仏教だと思うのです。 ひきずられない事、振り回されない事。
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7月 12日 影法師

先日、久しぶりに、故郷を歩く機会がありました。 繁華街の凋落ぶりに、「これが、あの徳山か」と嘆息いたしました。 輝いて映った物が消えた姿に、改めて、常ならざるものなしと感じました。 20年ぶりの友人との再会。 「よお」の一声で、20年の時が、一気に走り去りました。 昔話のなかで、高校2年の頃、「人生は歩く影法師、その姿を見失うな」と、言葉を頂いた事を思い出しました。 あの頃、自分の影法師は、どんな姿をしてただろう? あの時、抱いた夢や希望の影法師は、どこに行ったのだろう? そして、今、私の影法師は、どんな姿なのだろう? 恵心僧都<えしんそうず>・源信の名は、中学の教科書にも登場します。 『往生要集』と言えば、思い出されるでしょうか? 源信は神童の誉れ高く、わずか15才ながら、村上天皇の前で『称讃浄土経』を講じるという名誉を得ました。 講義後、天皇は御感のあまり、お誉めの言葉と褒美の品、そして、僧都の位を源信に授けました。 源信はご下賜の品々を、故郷に独り住む母に送りました。 ところが、母は、それら全てを源信に送り返し、このような手紙を添えました。 「あなたが、立派な学僧になられた事を嬉しく思います。 うちには女の子はたくさんおりますが、男の子はあなた一人です。 その大事なあなたを、元服もさせずに比叡山に登らせたのは、偉い坊さんだと、世間にもてはやされるためではありません。 ひたすらに、真実の道を求めて、それを私に教えて欲しかったのに他ありません。華やかな場所に出入するような人になって欲しかったのでは、決してないのです。 もう私は老い先長くはありません。 お前が本当の聖人になるまで、私は死んでも死に切れません。 後の世を 渡す橋とぞ 思いしに 世渡る僧に なるぞかなしき   」 観無常 無名利・・・無常を観ずれば、名利なし 地位や名誉、人から褒められたい、よく見られたいと思う心の影法師。 ・・・学歴も資格もないよりも、あれば、便利なこの世の中。 地位や名誉で、人が変わる姿も、目にしてきた。 お前自身が偉いのか?それとも、その地位が偉いのか? 金襴のお袈裟をつけて、黙ってりゃ、偉いお坊さん。 褒められば、悪い気はしない。そして、威張り腐って、自ら腐る。 金・金・金と金を追いかける心の影法師。 ・・・金が全てじゃないって、きれいに言えない年齢になってきた。 金があるか、ないかだけで、人生が変わる事も知っている。。 子供がいれば、なおさらの事。学校に通わせるのも、ただじゃない。 金だけが己の力だと錯覚し、金を求めて、人に逃げられる。 世渡る僧・・・世渡る経営者、世渡る主婦、世渡る政治家、世渡るホスト、世渡るサラリーマン、そして、世渡る私。 個人では、モラルやルール。企業では、コンプライアンス。 そんな最低限の事でさえ・・・ あんな大人になんかなりたくねぇや、と思ったガキの頃の影法師に指をさされ、笑われてはいないだろうか? さぁ、もう一度。 いまから・・・ここから・・・
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7月 03日 お釈迦様の木

豊かな森の中に、一本の大きな木がありました。 その木には、仲良しの3羽の小鳥が、住んでいました。 小鳥の名前は、ぱっぱ、ぴっぴ、ぺっぺといいます。 いつも仲良く、一緒にご飯を食べます。 お昼寝も、歌やおしゃべり、お出かけも、一緒です。 ある日、ぱっぱが、こんな事を言いました。 「東の方に、大きな街があって、とても、楽しく暮らせるんだってさ」 すると、ぴっぴが、続けます。 「南の方に、大きな山があって、食べるものがいっぱいあるんだってさ」 ぱっぱとぴっぴは、「うーん、街に行こうかな?それとも、山に行こうかな?どうしようかな?」と、考え込んでしまいました。 すると、ぺっぺが言いました。 「僕は、ここがいいな。 とても楽しく暮らせる街かもしれないし、いっぱい食べ物がある山かもしれないけれど・・・僕は、やっぱり、ここがいいや」 小鳥たちは、みんな意見が分かれたね。 さて、どうしよう? ・・・そうだね、街に行ってもいいでしょう、山にいってもいいでしょう、ここにいてもいいでしょう。 しかし、ただひとつ、何をするにしても、忘れてはいけない事があります。 それは、小鳥たちが住んでいる豊かな森は、実は、みんなの心の中にあるという事です。 そして、その森の中に、一本の大きな木がある。 そう、その木こそが、お釈迦様の木なんです。 小鳥たちに誘われて、街にいっても、山にいっても、・・・みんなの心には、豊かな森とお釈迦様の木がある事を忘れないで下さい。 はい、では、隣の人と手をつないでください。 そして、心を手に集中してごらん。 なんだか、あったかいよね。 その、あたたかさこそが、森の姿なんだよ。 僕たちは、心の中に、豊かな森がある事を忘れてしまいがちだけれども・・・本当は、この森は、みんなとひとつに繋がっているんだ。 じゃあ、手を放してください。 最後に、和尚さんから、お願いがあります。 それは、お釈迦様の木に、栄養を与えて、育てていく事を忘れないでください。 どんな、栄養かというと・・・ ご飯をいっぱい食べてください。食べるときには、いただきます、食べたら、ごちそうさま、ね。 そして、いっぱい遊んで、笑って、お父さんやお母さんや先生の言う事を聞いて、元気に保育園に通って、お歌をうたったり、かけっこしたり、今日のように般若心経を読んだり、坐禅をしたり・・・そう、普段、みんながしてる事、それが、お釈迦様の木の栄養になるのです。 その栄養がお釈迦さまの木の根に届いて、もっと、もっと、大きな立派な木となって、必ず、みんな事を守ってくれるようになります。 どうか、みんなの心の中の豊かな森が、もっと豊かになって、そして、お釈迦様の木が、もっと大きく太く、立派になるように、そう、和尚さんは、願っております。 では、最後に、みんなで合掌をしましょう。 ありがとうございました。
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6月 23日 南無帰依佛

先日の事です。 朝のお勤めを始める時の事でした。 3歳の姪っ子が、パジャマ姿のまま、本堂に来まして、ちょこんと、私の隣に座りました。 まぁ、しばらく居れば気が済むだろうと思い、放っておきましたが・・・ お経を始める前に、まず、ご本尊様にお拝をし、手を合わせて、「南無帰依佛、南無帰依法、南無帰依僧」と静かにお唱えをいたします。 隣をみると、姪が同じように、手を合わせて、口を動かして真似をしようとしていました。 そこで、彼女の方を向き、わかり易いように、ゆっくりと、「南無帰依佛」と言ってみました。 すると、彼女も手を合わせて、「南無帰依佛」 続いて、「南無帰依法」と言うと、「南無帰依法」と、 そして、「南無帰依僧」と言うと、「南無帰依僧」と、ちゃんと、お唱えをしました。 とても嬉しい朝のお勤めの始まりでありました。 同じ佛弟子として、共に手を合わせる世界があるんだな、改めて、幼な子に教えられました。 佛道において、初心の者も、また、その道を親しく行じている者にも、手を合わせ誓う言葉は、「南無帰依佛」であります。 佛様を信じ、その教えとその教えを実行している者を信じ、拠り所といたしますという決意でございます。 まだ、年端もいかぬ子であっても、、歴代のお祖師様方であっても、斉しく「南無帰依佛」であります。 つまり、「南無帰依佛」とは、仏法の入り口、出発点でありながら、しかも、同時に、その堂奥に達している、信仰の帰着点でもあります。 さて、皆さんにお尋ねいたしますが、この「南無帰依佛」の佛とは、誰だと思いますか? 曹洞宗のご本尊様であるお釈迦様だと、お答えになる方もいらっしゃるでしょう。 または、ご自身で信仰をされているお観音様やお地蔵様の事を思い浮かべる方もあるかもしれません。 「南無帰依佛」の佛とは、お釈迦様やお観音様、そして、お地蔵様、その通りでございます。 しかし、もう一人、大切な誰かをお忘れになっていませんか? それは、ご自身の事です。 つまり、皆さんお一人お一人が、「南無帰依佛」の佛なんです。 いわば、南無帰依私、、南無帰依俺、でございます。 「オイオイ、まだ死んでないぞ、勝手に殺すなよ」と、仰らないでくださいね。 実は、我たちの命は、お釈迦さまやお観音さまやお地蔵様と、同じ真実なる命の現れであります。 だからこそ、だからこそ・・・この身が尊い。 江戸時代に生きた禅僧、白隠様が残された著述に、こんなお言葉があります。 衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の他に仏なし 意訳いたしますと・・・ あなたのいのち、それは、佛様のいのちを生きているのだよ それは、水と氷のように、ひとつのものが形を変えて現れているのだよ だから、水がないと氷ができないように あなたが今生きている、このいのちこそが、佛様のいのちなんだよ と、いう事であります。 私たちの命も、お釈迦様の命も、月の満ち欠けや一片の雪、花が咲いたり、木々の若葉が芽吹いたりする事も、その大きなひとつのいのちの現れであります。 この事に気づき、手を合わす事をしなければ、やはり、勿体無いなと思うのです。 昨今、教育の現場において、陰湿ないじめと自殺が大きな問題となっております。 自らを強く大きく見せんがため、集団で、一人の者をいじめる。 ある時は、暴力をふるい、ある時は、ネット上に誹謗中傷を書き込む。 そして、ついには、その一人を追い込み、死に至らしめる。 もし、本当に、自分が佛様でもある事を信じたならば、また、気づいたらば、決して自分自身を強く見せたり、人を追い込むような乱暴な言葉を発したりは、できないでしょう。 まして、他人のものを盗んだり、殺めたり、人をいじめたりはできないはずです。 自ずとその生活に、佛様と同じ境涯、つまり、同じものの考え方や、同じものの見方が現れてまいります。そこには、してはならない・してはだめだという行動規範やルールではなく、自ずから犯す事のできない・犯しようがない佛としての戒めが、この身に備わっている事に気付くでありましょう。 3歳の姪っ子に、「南無帰依佛」と手を合わす事を教えましたが、おそらく、今の彼女には、佛弟子としての自覚も、佛としてのいのちの気づきもないでしょう。 人生の辛酸を舐めることもなく、宗教的な回心を経験したことも無く、ただ真似をした「南無帰依佛」にも意味があるのだろうか?と思われる方もいるかもしれません。 ですが、僧侶として、思うのです。種をまいておこう、と。 いずれ、思いどおりにいかぬ現実に直面した時、生きていく者としての悲しみや寂しさを強く感じた時、この世が移り変わっていくものであるという真実に気づいた時、この佛の教えがある事がどんなに心強いかを諭し、そして、その機縁を作ってあげておこう、と。 今、曹洞宗のスローガンは、「深めよう み佛の絆を 全ては関り合いの中から」です。 ご自身のみ佛の絆を深めるにあたり、もっと、端的にもうしあげましょう。 それは、「深めよう み佛としての絆を」です。 まず、皆様お一人お一人がみ佛である事を信じ、気づき、み佛として生きていく。 そんな自覚をもつ生き方にこそ、全ての関わり合いの中から、深く多くのものを学ぶことができ、そして、それを活かし、相手を慈しみ、思いやり、調和のある穏やかで豊かな時が現れてくると思うのです。 尚、お寺では、毎月20日、読誦会をしております。 朝のお勤めを、共にする会であります。 より親しく親しく「南無帰依佛」とお唱えしていただくためにも、どうぞ、一人でも多くの方にご参加していただきたいと、願っております。 ご清聴、ありがとうございました。
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5月 31日 30年

昨年の冬、このブログを通じてあるご夫婦と知り合いました。 30年前、大切な大切なお嬢様を交通事故で亡されたそうです。 その日、赤信号で停車中の奥様の運転する車に、居眠り運転のトラックが突っ込んできた。 奥様は、奇跡的に一命を取り留めた。 しかし、その愛おしいあの子は・・・わずか2歳1ヶ月であった、と。 「娘の死をベッドで伝えらた時、荼毘に付したと聞いた時、動かぬこの体が恨めしかった・・・そして、あの事故が恨めしく、あの運転手が恨めしく・・・何よりも、あの時あの場所にいた自分が恨めしいの・・・」と、しぼりだす様な声で奥様がおっしゃいます。 「そういえば、今年で30年が経つのだなぁ、と思いましてね。 思えば長いような、短いような、なんだか、昨日の事のような・・・ すでに、私たち夫婦も還暦を超えました。 そろそろ、人生の整理をしなければ、と、強く感じたのです。 それで、あなたにお話を聞いてもらえればと、メールをしました」と、ご主人が静かに語りました。 「私で良ければ・・・お付き合いしましょう」 ひとつきに一度程度、お宅に伺い、時には食事をしながら、ご夫妻と共に過ごしました。 「今まで何度も、死のう、娘のそばに行こうと、いう衝動にかられました。 急に寂しくなるんですよ、急にね。 何をしても、どこにいても、娘の事ばかりを考えてました。 それでも、私には仕事があったから、幾分か救われもしましたね。 でも、妻は、退院後、家にこもって、出歩かなくなりました。 そして・・・二度、妻は自殺を試みました」 「もう、一日中、泣いてました。 泣いて泣いて、泣いてばかりで・・・一日中、あの娘のお骨を抱いて泣いてました。 家の事や主人の事など、全く構わなかった。 でも、この人が許してくれて・・・優しいから・・・ お友達や親類、そして、主人の会社の方から、慰めの言葉や励ましの言葉を、沢山いただいたのですが・・・素直に、受け止められえなくて。 なぜ、娘が死ななければならないのか、と思ってしまって」 「あの運転手は、実刑になりました。でも、それは、他人事でした。 刑期を終えてから彼は、数年間、命日に花を送ってきましたけど、今は、もう音沙汰はありません」 「どこかで、我が家の不幸が売られたのでは、と思うくらい、多くの宗教が勧誘してきましたよ。 あの事故は、先祖供養を怠った罰だとか・・・ 10代前の先祖が苦しんでいるから、娘を呼び寄せたのだとか・・・ この苦しみは、神様が与えてくれた私たち夫婦への試練だから、心から喜びなさいだとか・・・ 娘を供養をしなければ、苦しんで浮かばれず、今後もっとひどい事が起きるだとか・・・ お恥ずかしい話ですが、当時は、なるほどなって思ったんですよ。 娘が亡くなったり、妻も不安定になったり、私たち夫婦ばかりが辛い目にあっていると思うと、言われるがままに、本を読んだり、集会やセミナーにも参加したりしました。 笑われるかもしれませんが、多くのお布施や寄付もしたし、お守りや数珠、テープやビデオ、いいといわれた物をいっぱい買いましたよ」 「でも、何をしても、心を満たす事は、できませんでした」 かけがえのない愛娘 たどたどしい言葉を発し、よちよち歩き、けたけた笑い、ギャーギャーと泣き、こぼしながら食べ、天使のように眠るその姿。 パパ・ママと叫ぶあの子の声が耳を離れない パパ・ママと叫ぶあの子の顔が浮かんでくる 死んだあの子があいくるしい。 あの娘がくるおしいほど愛おしいのだ たとえ、おのが命を捨ててでも、守りたかった。 だから、何をもってしても、心が満たされる事はない。 奥様は、声をあげ泣いていました。 ご主人は咽び、肩を震わせていました。 先日、ふたたびお二人にお会いしました。 奥様が開口一番。 「娘のお骨を、お墓に納めたいと思います 主人の兄が、私たちの分の墓地まで、霊園を求めていてくれて・・・ 今後、私たちが入った後は、甥が面倒をみてくれる事になってます。 そこに、お墓を建てて、娘を納めてあげたいと思うのです。 やっと、そんな気になれました・・・」 いつものように、お嬢さんのお骨の前で、3人で読経をしました。 「私たち夫婦は、30年かかりました。 なんだか無駄な時を過ごしたのかもしれませんが・・・ 娘の骨を納めると決めたら、ようやく、気持ちが落ち着きました」 と、ご主人様から、お言葉をいただきました。 現今は、カウンセリングや心療内科、グリーフワークと心の安寧や癒しを提供する方法論は、いくつもあるけれど・・・ 30年、亡くした娘と共に成長してきたご夫婦もある。 30年、それは、無駄な時ではなく、必要な時であった。 とても深く、豊かな時を、お過ごしになられましたね・・・もう、大丈夫ですよ。
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5月 22日 ご利益を考える

さて、今日は「利益」について、お話をしたいと思います。 これ、なんと、読みますか? ハイ、そこのお姉さん。 ほかに、ありますか?じゃあ、そちらの、お嬢さん。 この言葉はもともと仏教語で、「りやく」と読みます。自分が得るということではなく、他の人に恵みを与える、という意味です。 しかし、この銭や金の世の中、この字は、「りえき」と読んで、儲けや得ということを意味するようになってしまいました。 本日は、このりやくについてお話をいたします。 りやく、ご利益といいますが、「本当のご利益って、何かな?」について、ご一緒に考えてみましょう。 この世の中、たくさん、ご利益がございます。 いくつぐらいあるのか、私、調べてきました。 読み上げますので、お聞きください。 【資料1】 どうでしょうか?いっぱいあるでしょう、ご利益が。 実は、もっともっとあるそうですよ。 では、こんなに、たくさんご利益があるのに、ひとつも、私のところには、まわってこないなぁと、思う方は手をあげてみてください。 そうでしょう、わたしも両手両足をあげたいくらいですが・・・ あっ、手を下ろしてくださいね。いつまでも手をあげてても、ご利益は、ありませんからね。 特に、みなさんに関係するご利益を言えば、何でしょう? やっぱり、恋ですか?愛ですか?恋愛成就? いや、いいのがあるんですよ、京都に。 京都の東山に、安井金比羅神社ってのがありまして。ここが、有名なんです。 ここの神様は、不倫成就の神様なんです。 もともとは、縁切りの神様だったんですが、いつの間にか、縁を切ったついでに、縁を結ぶようになりまして、両方のご利益があるそうです。 ちなみに、境内は、こんな願い事が書かれた絵馬や形代でいっぱいだそうです。 「馬鹿女房と別れて、会社の絵理ちゃんと、一緒になれますように 俊夫 」 「主人と一日も早く縁が切れて、●●さんと結婚できますように マリリン 」 私も今年の秋は、京都に旅行をしようかなぁ? 他に、皆さんに関係あるとしたら・・・ああ、ぽっくり、ですか。 例えば、会津コロリ三観音ってのが、ございますね。 中田観音様、立木観音様、鳥追観音様、ですね。 お参りされた事は、ございますか?なかなか、準備万端でございます。 ああ、そうだ、とびっきりの物をご紹介いたしましょう。 それは、嫁いらず観音というのが、ございます。 これは、ですね。岡山県の井原市にあります。 誤解しないでくださいよ、「いつまでも健康で、幸福な生涯を全うし、嫁の手を煩わす事がない」という事で、嫁いらずですから、ね。 あの嫁がいらんから、嫁いらずって言うのでは、ありませんよ。 さてさて、嫁いらず観音と嫁いびり観音は、どっちが強いのだろう? ここまで、たくさんのご利益を紹介してきましたが・・・ これは、ご利益とは、人間の欲や願いの裏返しだと、言ってもいいかも知れませんね。 自分の力では、いかんともしがたい、どうにもならない事を、神さんや仏さんにおすがりをして、「どうぞ、お救いください、どうぞ、お助けください」ってね。 こんな川柳が、ございます。「ご利益は あてにしないで 初詣」 年の初めに、初詣で、まぁ、皆さんは、お持ちでしょうから、福沢諭吉を数枚いれるかもしれませんが・・・多くの方は、小銭を賽銭箱に投げ入れる。ご縁がありますようにで、5円。十分にご縁がありますようで、15円。ちょっと、奮発して、十二分にご縁がありますようにで、125円。 それで、家内安全、家庭円満、交通安全、無病息災、大願成就・・・あとは、死んでも命がありますように、なんて、ね。 さて、皆さんにお尋ねいたしますが、この●●寺様にお参りされて、何かご利益はありますでしょうか? 「いえいえ、私は、ご利益なんか求めておりませんが、でも、お寺には、親しくお参りします」と、宣言できるお人があれば、実に、大物のお方でございます。 目に見えるお金や健康だけのお話ではなく、お寺にお参りする、何よりのご利益は、ここの方丈様や若方丈様と接し、ものの見方が変わる事こそ、ご利益ではないかな、と思うのであります。 仏教とは何か、を一言で表せば、ものの見方の事でございます。 お釈迦様と同じものの見方をする事で、この世を正しく見ていく事ができるのであります。 信仰心の厚いお嫁さんと、意地悪ばあさんとのお話です。 【資料2】 この姑と嫁のお話、どうですか? こんな意地悪ばあさんなら、嫁も反撃してですね、「あのクサレばばあ、早く、地獄にいきやがれ」と、拝んでもよさそうですけど・・・しないんですね。 何故か?それは、やはり、この嫁様は、お寺にお参りする事で、仏の教えに親しく、お釈迦様と同じものの見方をしているからではないでしょうか。 こんな、話がございます。 昔、お釈迦様のもとに、若い修行僧がおりました。 夏のとっても暑い日に、坐禅をしていたのですが、もう暑くて暑くてたまらない。 いやぁ、ここでは、とっても暑くて坐禅なんかできないから、場所を移動しようと、考えました。 どこか涼しいところはないかな、と探すと、木陰を見つけました。 よし、ここがいい、と決めて、また、彼は、坐禅を始めました。 しかし、夏の暑い日。風が生ぬるくて、なんだか気持ち悪い。だんだんいらいらしてくる。 ふと、彼は「今日は、坐禅はやめて、水浴びでもしようかな」って思ってしまいました。 すると、ますます暑さが我慢できなくなってしまったんですね。 どんどん邪念が広がりまして、こんな事して、何になるのだろう、とか。 いっそ、修行なんかやめて、町に遊びに行こうかな、とかって、思うんですね。 ああもう我慢ならない、と坐禅をやめ、立ち上がった時、彼は、はっと我に返って、お釈迦様のところに行き、相談をしました。 「お釈迦様にお尋ねいたします。 お釈迦様は、お悟りを開かれた偉大なお方ですから、暑いとか寒いとかを感じないでしょうけれども、どうすれば、そんな風になれるのでしょうか?」 お釈迦様は、こんなふうに答えました。 「例えば、弓矢が飛んできて、体に刺されば、痛くないものはいないだろう。 それと、同じで、私も暑いときは暑いし、寒いときは寒いよ」 若い修行僧は、驚きながら、また尋ねるんですね。 「じゃあ、私とお釈迦様は、同じなのでしょうか?」と。 そうすると、お釈迦様は、丁寧にお諭しになれれました。 「暑いという第一の矢が当たるところまでは、実は、お前さんと私は、同じだけれども、その後が違うんだよ。 私は、今日は暑いなぁで終わりだけれども、お前さんは、暑いから風がほしいとか、水浴びがしたいとか、いろんな事を考えて、第2・第3の矢があたっている。 私は夏は暑いのが当たり前だと、思っていいるから、第2の矢があたらないんだよ」 お分かりになられましたか?この話。 お釈迦様は、私たち向かって飛んでくる、苦しみの矢は、防ぐ事ができないって、教えておられます。この苦しみは、誰しも、防ぐ事ができないんだって。 暑い時は暑いし、寒い時は寒い。辛い時は辛いし、悲しいときは、やっぱり、悲しい。 それは、お釈迦様でも、私も、皆さんも、まったく、同じです。 しかし、第2.第3の矢は、ものの見方によって、防ぐ事はできるんだよ、と。 人間は第1の矢を受けてしまうと、その事にあわてふためき、自らが第2・第3の矢を受けてしまい、どんどん事態がひどくなる。 けれども、第1の矢だけを受けとめて、終わる事ができれば・・・ もう、あれこれと迷う事がなくなる。 この●●寺様にお参りするご利益とは、何か? もう、皆さんは、おわかりでしょう。 それは、例えば、米が大豊作になるとか、そんな事ではありませんね。 むしろ、ご利益は、その後の事、起こった事への受け止め方。 お米が豊作になれば、神様や仏様、そして、ご先祖様や周りの方々に、おかげさまと、心から感謝できます。もし、万が一、不作となったとしても、後悔だとか、恨みだとか、そんな気持ちに支配されなくなってきます。 この受け止め方を学べる事こそが、本当のご利益でしょう。 あいだみつをさんを、皆さんはご存知ですね。 あいださんは、お釈迦様のこの教えを、このような詩に表しました。 先ほど、お渡しいたしました資料をご覧ください。 【資料 詩】 いかがでしょうか? 第1の矢は避けられないものだ、と。しかし、愚痴や弱音という第2・第3の矢は、受けないという決意なんですね。 そうは、言っても人間、弱いもので、第2.第3の矢を受け続ける事もあるのだ、と。 ついつい、愚痴や弱音を吐き続け、人の悪口でうさばらしをし、どうして私ばかりなんでこんなに苦しいのか、と思い続ける事もあるでしょう。 でも、そうやって、第2・第3の矢を受け続けているという事に、まず、気付く事が大切だと思うのです。 ご利益って、お金が儲かる事でも、不老長寿になることでもない事を、お分かりいただけたでしょうか? 本当のご利益とは、人間としてのいのちの根がふかくなること、それが、よい人とめぐり合い、豊かな潤いのある人生を送る事ができる。 一人ひとりが仏のお釈迦様のものの見方を身につけ、本当の自分に気づくご利益を実感し、他の人びとにも、そのご利益を分け与え、ともに生きてまいりたいな、と思うのです。 人生80年時代と申しますが、ちょっと皆さんご想像ください。 青春時代というのは、何歳から何歳ぐらいまでと考えられますか? 人生に四季を当てはめて考えると、次の夏は働き盛りの時期でしょうし、秋は、壮年、そして老人になれば冬の時代と、そうなるようにも思いますが、実はそうではありません。 人生は冬から始まる、と 幼少から二十歳ぐらいまでは体力、知力を鍛えます。 これが玄冬、つまり冬なんですね。 春は、青年期20から40ぐらいですね、この時期はまさに青春、人生は機を得て就職や結婚、家庭、社会に存在感を示すとき。 夏は40から60、中年期です。朱い夏、朱夏といいます。あかく太陽が燃え盛るように、人間のつながりを生かしながら活動するとき。 そして、60を過ぎ高齢期、これが秋です。白秋、といいます。 今まで培ってきた事の自信をもって、人生の収穫を楽しむ時期です。 さあ皆さんは、どの季節でしょうか。 夏ですか?秋ですか?まさか春はないでしょう・・昔は春だった。 この収穫の時期、この実りの秋にこそ、大きなご利益、ここ●●寺様と親しくお付き合いをなさることによって、大きな収穫、大豊作にしていただきたいと願っております。 ご清聴ありがとうございました。 ※補足  盛永宗興老師 「どうぞ」の話
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5月 16日 毒箭の喩

ある日、マールンクヤプッタ尊者は静かなところで独坐していました。 その時、ふと、心に疑問が生じました。 「この世界は永遠なんだろうか、それとも、永遠でないのだろうか? この世界は有限なんだろうか、それとも、無限なんだろうか? 霊魂と身体とは同一なんだろうか、それとも、別物なんだろうか? 如来は死後に存在するのだろうか、それとも、存在しないのか? 如来は存在しかつ非存在であるのだろうか、それとも、存在もせず非存在でもないのか? そういえば、お釈迦さまは、この事について説かれた事がないよなぁ・・・ そうだ、お釈迦様にこれらの問いをお尋ねしよう。 そして、お釈迦様がお教えくださったならば、益々、修行に励もう。 しかし、もし、お教えくださらなければ、修行をやめて、還俗をしよう」 彼は、この疑念をお釈迦様にぶつけました。 お釈迦さまは、ひとつひとつの問いに答える事なく、こんなお話をされました。 「たとえば、ある人が毒矢で射られたとしよう。 家族や友人が医者を迎えに行き、矢を抜かせようとするでしょう。 しかし、本人が毒矢を抜くことを拒否したらどうなるだろう? 誰がこの矢を射たのか、どんな階級に属している者が射たのか、この矢の毒の種類は何か、 この矢を射た弓はどんな弓だったのか・・・ その事がわからぬうちは、この毒矢を抜いてはならないと、主張したら、この男はどうなるだろうか? マールンクヤプッタ尊者よ、あなたはこの男をどう思うかね」 「・・・・・・・」 「あなたの問うた事は、実は、この男と同じなんだよ。 いま大事なことは、すぐに、矢を抜いて手当てをすることだ。 こんな問いにとらわれる事なく、本当の真実に目をむけなさい。 この問いは、厭離に導かず、離欲に導かず、止滅に導かず、寂静に導かず、証智に導かず、正覚に導かず、涅槃に導かない、利益をともなわないものだ。 この現実の、生があり、老いがあり、死があり、愁い、悲しみ、苦しみ、歎き、悩みがあるこの身を見つめ、真実なるものをつかみなさい。 「苦とは何か?」の問いを深め、まず、四諦を学びなさい」 最後に、お釈迦さまは、こう続けられました。 「私が説かなかったことは、説かれなかったままに受持しなさい。 また、私が説いたことは、説かれたままに受持しなさい」 この教えを聞いたマールンクヤプッタ尊者は、お釈迦様の教えを歓喜し、心から信受しました。 「箭喩経」『マッジマ・ニカーヤ』第63経 五月病も五月晴れも、同じ五月。 同じ5月なのに、なんだか、気持ちが晴れないのは・・・ 毒矢が刺さってはいませんか? いや、毒矢を大切に持ち歩いてはいませんか?
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4月 28日 印象管理

最近受講した、「話し方教室」の内容。 拙い法話が、少しでも心に残ればとの企業努力ですが・・・ 先生曰く、言葉を伝えるには、言葉そのものよりも、非言語の部分が大きい。 そして、「印象管理」をせねばならない、と。 例えば、思いを寄せた子との初めてのデート。 「どこへ誘おうか?・・映画、観劇、吉本?」 「何を着て行こうかな?ご飯はどうしよう?それから・・でも、いきなり、ホテルは・・・まずいよなぁ」 来る日に向けて、しっかり、デートのシュミレーション。 ポイントは・・・自分を彼女にどのように印象づけるか。 デートはもちろん、対人関係、ビジネス。 自分が相手に与える印象を考え、マネージすることが「印象管理」。 ふと、こんな逸話を思い出しました。とんちで有名な一休さんです。 ある日、都の富豪から法事をしていただきたいと使いの者が参りました。 一休さんは、承諾しました。 法事の前日の事。 いつものように、托鉢をする一休さん。 ボロボロの衣を着て、一軒、一軒、軒付けをし、お布施を乞います。 法事の施主家に来た時の事。 「この乞食坊主がっ!」と主が怒鳴り、下男は棒でたたいて追い返しました。 法事の日。 立派な金襴の袈裟と衣を身に着けて、富豪の家に行きました。 その姿を見て、主は大喜びしました。 丁重に迎え入れ、仏前へとお願いしたのですが、一休さんは玄関から、入ろうとしません。 主は困惑し、「どうぞ、お勤めください」と、懇願しました。 そこで、一休さんが一言。 「では、この袈裟と衣に勤めてもらうがええ。 昨日の乞食も、今日の愚僧も同じ身。昨日は、棒をくらい、今日は結構な接待を受けるとは、ひとえにこの衣が立派だからだろう」 黄檗の 三十棒を あてられて みにはれきたる 蝉のぬけがら   一休 あなたは、まず、人のどこを見ますか? そして、あなたは、自分のどこを見てほしいですか?
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4月 16日 『千の風になって』に思う

『千の風になって』の歌詞について、尋ねます。 「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」という歌詞が、納得できません。 私は、お仏壇にはよくご挨拶しますし、お墓参りもします。 そこにいてくださる感じがするし、安心できる場所のように思います。 この歌詞についてどう思われますか? MIXIで、このような問いをいただいたのが、年の初め。 答えようにも、この歌をきちんと聴く機会がなく、また、買ってまで聴きたいとも思わなく・・・ 既に、4ヶ月も過ぎました。全く、無常迅速です。 遅くなって、ゴメンナサイ。 この歌は、とても人気があるようですね。 葬儀においても、記帳の時や棺に花を入れる間に流れる事が多いですよ。 きっと、歌声が心地よいし、詩情的な香りが高いからでしょう。 そして、死をイメージしやすいからでしょうか。 この歌に癒された方が多いのも確かでしょう。 故人や遺された家族が、「これでよい」と思っているのなら、 ・・・多分、それでいいのでしょう。 ただ、この歌を褒め称えているお坊さんを見ると、「あれっ?」と、思います。 アートマンを認めないのが仏の教えなのに・・・方便なのかな? さて、ご指摘の 「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」ですが・・・ 私は、お墓の開眼供養の後、こんな話をする事があります。 「墓地を求め、お墓を建て、納骨なさいました。 この場所は、親しく親しくお会いできる所ですが・・・ ここに来なければ、故人様に会えないかというと、決して、そうではありません。 今、あなたの、そのお足元を、よくよくご覧になってください。 ひとつに繋がっている事に気づきませんか? 例えば、あなたの家、学校、会社、あなたの念ずるところ、あなたの思うところで、いつでも、繋がっているのですから」 供養とは・・・ その故人を通して、真実なる世界に気付く契機とすべきものである。 毎朝、仏壇に手を合わせるのは、ご先祖様に、生きる喜びを感謝するためだけでなく、また、死んだお父ちゃんやお母ちゃんを偲ぶためだけでもなく・・・ その奥にある、真実なる仏の世界に手を合わせ拝んでいる事にも気付く事こそが、大切である、と、私は思うのです。 いかがでしょうか? 返事が遅いうえに、こんな回答で失礼いたしました。 最後に、この歌について、ひと言。 「死んでなんかいません」という歌詞について、よくよく点検が必要だな、と強く感じております。
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