投稿日時 19:07
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僧侶的 いま・ここ,
法話
by houe_admin
その若者は、かつて、とある宗教に帰依していた。
しかし、お釈迦様の教えに出合い、帰依し、出家した。
面白くないのは、かつてのお師匠さん。
大切な弟子をたぶらかした、とご立腹。
お釈迦様のもとを訪れ、激しい悪語をもって、罵倒し、誹謗した。
けれど、お釈迦様は、ただ黙していた。
そこで、お師匠さんは、大威張りで言い放った。
「沙門よ、なんじは負けたのだ。沙門よ、わたしは勝ったのだ」
すると、お釈迦様は、静かに答えた。
「雑言と悪語とを語って、愚かなる者は勝てりと言う。
されど、まことの勝利は、堪忍を知る人のものである。
忿<いか>るものに忿りかえすは、悪しきことと知るがよい。
忿るものに忿りかえさぬ者は、二つの勝利を得るのである。
他人のいかれるを知って、正念におのれを静める人は、
よくおのれに勝つとともに、また他人に勝つのである」
これを聞いたお師匠さんは、猛反省。
やがて、機縁が熟し、お釈迦様のもとで出家したという。
いくら、声が大きても、いくら、すごんでみせても・・・それは、虚勢。
他人に自分の考えを押し付け、折伏したとしても・・・それは、まやかし。
勝者は、どっち?
投稿日時 03:13
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法話
by houe_admin
たとえ、あの声が聞こえなくとも、話しかけたい
たとえ、あの人が食べなくとも、美味をお供えしたい
たとえ、喜ぶ顔が見えなくとも、お花とお香をお供えしたい
・・・いっしょに、いるからね。
投稿日時 06:10
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by houe_admin
おめでとう、よくがんばったね。
約束どおり、ちゃんと、お母さんのお腹の中にいてくれたね。
お父さんから、さっき、電話があったよ。
「母子ともに健康です。俺も妻も、俺の両親も妻の両親も、みんな、泣いています。ありがとうございます」
どうだい?目に映るものは?この国の感じは?この時代の空気は?
やって、いけそうかい?
でも、絶対に、逃げてはダメだよ。
随分辛い思いもして、やっと、この国に、この時代に、この親のところで、ご縁が熟して現れたんだからね。
やよあか子汝れはいづちの旅をへて
われを父とは生れ来ませし
吉川英治『川柳詩歌集』
【意訳】
やあ、ようこそ。ようこそ。
生生世世、長い時間をかけて、生まれ変わり死に変わりしながらも
私との深い深い因が生まれ、育まれ、時を得て、今・ここに、縁が熟した。
だからこそ、私を父親としてこの世に誕生したんだね。
どうぞ、よろしくね。
目に映る物しか信じない人が多い時代だけれども・・・
生きる意味や人生の目的を見失わせる罠の多い時代だけれども・・・
悲しい出来事に襲われたとしても
辛い立場に追い込まれたとしても
病気や怪我に悩まされたとしても
生きていてつまらなくなったとしても
大切な人との別れに心を乱されたとしても
もう死んでしまいたいと思う事があったとしても
そして、生の呻きを体験する感性を持ったとしても
でもね・・・忘れてはいけないよ、逃げちゃダメだって事。
絶対に、絶対に、大丈夫だからね。
大きな大きな、たとえようもない大きな、このいのちの煌きの中で、
君は、この父母を縁として、人間として命を授かり、その体を預かったのだ。
だから、命は、この大きな大きないのちに護られどおしに護られている。
絶対に大丈夫、心配いらないよ。
君の名前は千尋<ちひろ>、気に入ってくれるかな?
千とは、たくさんという意味。つまり、たくさんの人と出会い、たくさんの本を読み、たくさんの場所に行き、たくさんの体験をして欲しい。
その中で、きっと、真実の在りかに気付く事になるだろう。
そして、その真実の在りかを一人でも多くの人に伝えて欲しいんだ。
君なら、きっとできるよ、千尋ちゃん。
投稿日時 21:02
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by houe_admin
サイパンには、日本が委任統治した歴史がある。
そして、1944年7月7日サイパン部隊は玉砕。
サイパン島の最北端の岬、マッピ岬。
千名を超える人々が、80メートルの断崖絶壁の岬から身を投げた。
飛び込めない子を絞め殺し、共に逝く人。
生まれて間もない子を、体に縛りつけて飛び込む母。
水面には、鮫の群れが見えたという。
この島で、日本に一番近い場所を、死に場所にした誇り。
狂わんばかりの恐怖を、絶体絶命の絶望を、悔しさと命の呻きを、
「天皇陛下万歳」と、大きな声で叫ぶ事で、全て、押し殺した。
その場所が、バンザイクリフ。
今そこには、多くの慰霊碑や塔婆が並ぶ。
海底にも、慰霊碑があるそうだ。
そして、ダイビングスポットでもあるらしい。
先の戦いにおいて、仏教者の多くが戦争を支持したという批判。
不殺生を説くべき者が、何故に、体制側にこびたのか、と。
私の中で、未だ、確かな答えはないけれども・・・
徒に、平和を叫ぶよりも、この涙の中に、僧侶として在りたい。
この恐怖の中に、この絶望の中に、この悔しさと呻きの中に。
投稿日時 19:57
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by houe_admin
生まれてくる子に名前をつけて欲しいと頼まれたのが、3月。
36歳で初産。予定日が8月との事。
男と女の連れ合いが父と母に変わり、命の前にひざまずく。
激しいつわりもなく、経過は順調のように思えたけれども、5月に緊急入院。
早産の危険がある、と。
もう、この病院では手に負えないからと、転院をしたのが6月はじめ。
喜びが不安に負けそうになり、胸が張り裂けそうな時を過ごす。
もしや、とおののきながら、ただ祈る日々。
自分が代われるものなら、代わってあげたい、と切に願う父。
自分の命はどうなっても、この子だけは守りたい、と切に願う母。
・・・父と母と子が、ひとつの家族になれた瞬間。
ねぇ、君。
君のお父さんとお母さんは、今、君を授かった喜びをかみしめながら、
命懸けで、君を守ろうと真剣に全力で戦っているんだよ、わかるだろう。
あと、3週間。いい子にしているんだよ。
そうすれば、きっと、とても素敵な事があるからね。
そうそう、お釈迦様がこんな話をしてるよ。
大海の底に一匹の盲亀がいて百年に一度、波の上に浮かび上がる。
その海に一本の浮木が流れていて、その木の真中に一つの穴がある。
百年に一度浮かぶこの亀は、この浮木の穴から頭を出せるだろうか?
これは、難しい事だよね。
けれども、実は、この世に生まれる事はもっとたいへんな事なんだって。
じゃあ、大地の土と、爪の上にのせた土とどちらが多いと思うかな?
大地の土の方が多いよね。大地の土はいのちの事。
そのいのちが、人として命を享けるのは、爪の上の土ぐらい少ないんだって。
・・・命を授かる事を、当たり前のように思ってしまうけれども、
本当は、簡単な事ではないんだ。
人間の世界の有り様を観ずれば・・・
好きで生まれてきたわけじゃないと、ほざくガキもいる。
家や親を選んで生まれてきたかったと、のぼせる阿呆もいる。
やっとの思いで、生まれ育てられた命を捨てる人もいる。
育児放棄し虐待する親もいれば、聞き分け出来ない子もいる。
しかし、人は願生し、娑婆国土しきたれり。
私たちは、願って願って、願われて、その願いが叶って、人として生を享けた。
私たちは、願って願って、願われて、その想いが通じて、この世に生を享けた。
ねぇ、君。そうだよね。
今の君なら、わかるよね。このいのちの在り方が・・・
大丈夫だからね。絶対に、大丈夫だよ。
投稿日時 20:54
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by houe_admin
神よ、
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与え給え。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与え給え。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与え給え。
ラインホールド・ニーバー <大木英夫 訳>
米の神学者、倫理学者ラインホールド・ニーバーが教会で説教したときの祈りの言葉。
この言葉は、神学者フリードリッヒ・オーティンガーの作という説もあれば、古代アラビアから伝わってきた説などもあるそうです。
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これを経営哲学と解釈して、座右の銘とする経営者も多いようですね。
変えることのできるもの と 変えることのできないもの
貴方の変えることのできるもの と 貴方の変えることのできないもの
生活の変えることのできるもの と 生活の変えることのできないもの
仕事の変えることのできるもの と 仕事の変えることのできないもの
世間の変えることのできるもの と 世間の変えることのできないもの
人生の変えることのできるもの と 人生の変えることのできないもの
神様に頼ってないで、たまには、自分で数えてみましょう。
きっと、気付くはずです・・・
真理は、変えることのできないものの中にある、と。
投稿日時 23:19
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by houe_admin
「毎朝、お初をお供えして、お茶と水をあげて、線香をたてて、手を合わす。
ご先祖様にじゃないよ、親父とお袋にだよ、俺が手を合わせるのは。
もう、親が死んで33年だよ。俺も、もう間もなく70さ。
いつお迎えが来ても、おかしくはないさ。覚悟はしてるよ。
お恥ずかしいけど、独り身でさ。結婚はしたんだけど別れちゃってね。
幸い、ガキもできなかったから。
33年の区切りっていうか、
なんだか、お坊さんにお経を読んでもらいたくなってね。
悪いけど、うちまで来てお経をあげてもらえないかな?
少し、遠いけれどお願いします。」
・・・しわがれ声だけれども、穏やかな響きある人から電話があった。
自宅でのお勤めを終えての茶飲み話。
毎朝、亡き母を思い、亡き父を偲ぶ。
何かあれば、母に打ち明け、父に頼る。
頂き物があれば母に見せ、季節になれば旬の物を父にすすめる。
若い頃、親の意見など耳も貸さず、家を飛び出したけれども・・・
今だからこそ、この時が持てた。こうして、この形で話しができる。
豊潤な祈りの時間。
優しさに満たされたあたたかな時間・・・孝順の心。
倶会一処<くえいっしょ>は、『阿弥陀経』にある言葉。
ご縁の深い者たちが、ともにひとつの場所で出会うという意。
ひとつの場所とは、お浄土の事らしいけれども・・・
お浄土って、遠くにあるような気がするかもしれないけれども・・・
今のあなたなら、おわかりでしょう。
そう、いま・ここ。いま・ここ。
投稿日時 01:19
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居酒屋にて、酔客の定年間近のおっさん。 私の格好を見て、坊主と思ったのでしょう。私は、どこに行くのも作務衣ですから・・・っていうか、作務衣と法衣しか、持っておりませんが。 あのさ・・・ 葬儀社ってのも、ピンからキリまであるんだってね。 ひどいのもいるんだってね。気をつけなけりゃ、…
投稿日時 21:20
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ニルヴァーナとは、煩悩の火を吹き消した状態、つまり、涅槃の事。
そこは、寂しく暗い世界ではなく、
煩悩が転化され、慈悲や智慧となって動き出す活溌溌地の真実の世界。
人は、自らの死をもって、完全なるニルヴァーナを得る。
たとえ、無残に命を落とすとも
たとえ、蔑みの中に死を迎えようとも
たとえ、いかに心残りがあろうとも
たとえ、この世に形として生まれ得なくとも
たとえ、わが親に殺められようとも
たとえ、わが子に虐殺されようとも
たとえ、見ず知らずの者から殺害されようとも
救い難いその状況において、ひとすじの光明は・・・
その人は、今、完全なるニルヴァーナにある事。
その人の死を完全なるニルヴァーナと観る事ができれば・・・
その人の骨を完全なるニルヴァーナと信じる事ができれば・・・
投稿日時 15:47
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法話
by houe_admin
生きていればこそ 腰が痛い
生きていればこそ 肩がこる
生きていればこそ 歯がうずく
生きていればこそ 体調がすぐれない
生きていればこそ 難儀だ
生きていればこそ 泣く事もある
生きていればこそ 死にたくもなる
生きていればこそ 思い通りにいかない
「生きていてもつまらないから、死んでしまいたい」
「どうせ辛い面倒な人生なら さっさと死んでしまいたい」
しかし、それは自死の理由にはならない。
それを理由とするのなら、それは、あなたが真剣に生きていないということだ。
あなたが大切な人とお別れしたのも 生きていればこそ
あなたが何よりも大切なその子と死に別れたのも 生きていればこそ
何をするにも 何を思うも 生きていればこそ
生きていればこそ
生きていればこそ
子供を生きかえらせたいと願う、キサーゴータミーのお話。
キサーゴータミーは、我が子を病気のために死なせてしまいました。
彼女は、幼くして夭折した子供が可哀想でなりません。
子供を火葬にするため運び去ろうとする親族を引き止めて言いました。
「待ってください。私は、息子を生きかえらせる薬を探してきます」
彼女は家を飛び出し、村中を尋ね歩きました。
「誰か教えてください。私の子供が死んでしまいました。
誰か助けてください。私の子供を生きかえる薬を下さい」
「死んだ人を生き返らせる薬などあるはずないよ」
と、多くの人が彼女を諭しますが、彼女はあきらめきれません。
「では、お釈迦さまに相談してみなさい」と、ある人が言いました。
キサーゴータミーは、お釈迦様に泣きつき懇願しました。
「どうぞ、死んだ子供を生きかえらせる薬をください」
「では、その薬を作ってあげるから白い芥子の実を貰ってきなさい」
「わかりました。すぐに参ります。白い芥子の実は、どこから貰ってくればいいですか?」
すると、お釈迦さまは、言いました。
「死者を出したことのない家から芥子の実を貰ってきなさい」
キサーゴータミーは喜び勇んで芥子の実を求めて出かけていきました。
彼女は次々と家々を尋ね歩きます、必死に、一途に、子供のために。
しかし、死んだ人のいない家を探しだす事はできませんでした。
やがて、彼女は気付きました。
「死んだ人のいない家などないんだ」と。
戻ってきたキサーゴータミーにお釈迦さまが語りかけます。
「芥子の実を手に入れることができましたか?」
「いいえ、ありませんでした」
「キサ-ゴ-タミ-よ、あなたは自分の子供だけが死んだと思っていましたね。しかし、生あるものは必ず死があるのです。そして、死んだ者を生きかえらせることなどできないのです」
楽しい思い出に苦しむのも 生きていればこそ
真実を知り得る事ができるのも 生きていればこそ
今のあなたに・・・
私も生きる事を素晴らしいと思えない者であったひとりです。
そして、生きる事は悲しい事でもあると知っている者のひとりです。
嘆き悲しむ今のあなたに、完全な救いの言葉などありません。
何をもってしても、今のあなたを笑わせる事などできないでしょう。
しかし、また、いつでも、どうぞ。
そして、お大切に。
生きていればこそ 生きていればこそ