大童法慧 | そこから?
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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12月 12日 そこから?

「なぜ、葬式をしなければならないのですか?」
「なぜ、法事をしなければならないのですか?」と訊ねてくる40代、50代の人が多くなったと感じます。

 

 

ネットにその答えを求めて、「報恩感謝の心」や「葬式や法事は遺された人のためにするのだ」と言われても、素直には頷けない。
なぜならば、葬儀や法事をしなくても報恩感謝の心は決してないわけじゃないし、遺された人のためと言われてもやたらと金がかかるから。

 

だから、葬儀や法事をしなければならない理由、これまで先人たちがそれを行った訳を知りたい。そして、その答えに納得ができるのならば葬儀や法事をするし、納得できる理由がないならば必要ないと判断する。

 

自分が喪主を務めるような世代となった今。
意味の分からないお経、煙のたたない抹香での焼香、何よりもかかる費用に痛いほどの疑問を感じてきたからこそ、はっきりさせたい。
そして、今までは親の姿を見てきたけれど、その親が「無理に葬式はしなくてもいいよ、戒名もいらんよ」と言いはじめたし、お寺にも嘘っぽい感じも否めない。
けれども、葬儀や法事をしないと不幸になったり、罰があたったりするのは避けたいから、ひとまずはその理由を聞いてみよう、と。

 

 

この有り様は情緒が薄れたせいなのか、人間の境涯が進んだからなのか。
この世限りの人生観と死への信頼を失った時代。
それとも、葬儀業界の手詰まりなのせいなのか、葬式仏教の終焉だからなのでしょうか。
amazonに僧侶派遣を依頼する人とそれに登録する僧侶。

 

 

なぜという問いに、今、応えるならば、、、
自分とこの世界が離れたものではなく、乾いたものではなく、薄っぺらいものでない生を築きたいと願わないだろうか。そして、いのちの恵みを享受したいという願いはないだろうか。この命が永遠のものになる、永遠のいのちをこの世で体験したいという想いにいたらないのだろうか。
そして、儀式に身を任し、手を合わせる時間と場を持つことによって、また、前を向いて生きていきたい、と願うからこそ葬儀や法事が必要だと思うのです。

 

 


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