大童法慧 | 満月の夜の坐禅会 10月20日冒頭部
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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11月 27日 満月の夜の坐禅会 10月20日冒頭部

それでは、言の葉をご覧ください。
その、1番を、まず、声に出しましょう。
私が先導いたしますので、それに続いて読んでください。

 

1、    体の中に
光を持とう
どんなことが起こっても
どんな苦しみのなかにあっても
光を消さないでゆこう  坂村真民

手放す 受け取る 調える

 

ありがとうございます。
先日、企業セミナーの講師が出しているメルマガに、こんな記事がありました。

 

こんな話を聞いたことがあります。ギリシアの哲人ピアスが海で遭難したときの話です。
海が大荒れに荒れ、船は転覆してしまいました。船員も乗客も死に物狂いで陸を目指して泳ぎ始めたのです。陸が見えたのが幸いでした。
しんがりに船主と哲人ピアスも素っ裸で、フラフラになってやっと浜にたどり着いたというのです。
「ああ、これで万事休す、すべてを失った!」と、船主は天に叫び、顔を砂に埋めて激しく泣き始めたのです。ところが、哲人ピアスは平然としていました。そして、「オレは全財産を身に付けている」と、空に高々とこぶしを振りながら叫んだのです。
船主はその声に驚いて哲人を見上げました。「私は全財産を失ったのに、あなたは全財産を身に付けているという。あなただって素っ裸ではないか、何を身に付けているというんだろう」。
それに対して、哲人は「物は必ず失うものだ、人間だって死ねばすべてがなくなる。いま、オレは生きているじゃないか。生きていれば、オレには考える力がある。この考える力こそオレの全財産だ!」と、両耳に手を当ててから、ゆっくりと自分の頭をなでまわし続けたと
いう話です。
船主は、持ち船も身に付けていたお金も宝石も一切合財失って、「これでおしまいだ!」と言ったのですが、ピアスは考える力を持つがゆえに、人間の最大の資源が残っている、と言ったのです。
人生では、誰でも一度や二度、窮地に陥ったり困難に出会うものです。しかし、窮地に追い込まれた時こそチャンスがあるのです。ところが、普通は最悪な時には、心の持ち方、心構えが消極的になってしまい、そのために、不安、心配、絶望といった消極的な感情の方が強く
なるのです。そして、自信、勇氣、希望といった積極的な感情を殺してしまうのです。その結果、前進するエネルギーが生まれず、行動も消極的になってしまうのです。
ロロ・メイという心理学者は、「人は最悪の事態に立ち至ったとき、すなわち、絶体絶命の絶望に出遭ったとき、そのときこそ、人は永遠の力を発見する」と言っています。そうした時こそ、心のリズムにダイナミックな変化が起きるというのです。人生の底まで落ちたのだ
から、これ以上落ちることはない。“よし、これから這い上がるぞ”という勇氣が湧いてくるというのです。
そして、「勇氣を持っているからといって絶望しないことはない。勇氣とは、絶望しているにもかかわらず、なお前進していく能力である」とも言い切っています

 

以上です。そこで、皆さんに、質問です。
もし、ここに取り上げられていた話、船が沈没して、全財産を失った時、皆さんは、船主のような態度をしてしまうだろうか。それとも、哲人ピアスのような態度を取るだろうか?
どうでしょう。

 

このような話は、若い方向けのセミナーでは、よくある話です。
結局、心を強くして、困難に立ち向かうしか、幸せになる方法はないんだよ、という考え方です。たしかに、ある一面においては、そうです。

 

自分のことは、自分でしなければなりません。
そうですよね。お腹が空いたから、食べる。尿意をもよおしたから、トイレに行く。それを、お腹が空いたから、あなた食べておいてとか、私の代わりにトイレに行って、とはならない。

 

自分のことは、自分でしなければならないのだけれど、けれども、全てが自分次第だとか、望めば叶うとか、と飛躍してしまう人たちもいるようです。

 

言の葉2をご覧ください。声にだしましょう。
2、 全能感

 

ありがとうございます。
これは、心理学の用語です。 自分は何でもできる、誰よりも偉い、と錯覚することを言います。残念なことに、往々にして現実とは食い違う場合が多いようです。一般的には「過信」「自意識過剰」「天狗になる」などがあります。

 

これは、幼児期や年少期にほとんどの人が経験します。
しかしながら、これを契機にして、己の未熟さを知り、自分を見つめ直すことができ、大人になっていくことができる。

 

けれども、セミナーなどでは、このような考え方を煽るものが多い。
そして、そのことに心を動かす人もいるのでしょう。

 

自分のことは、自分でする。自分は大切だ。、、、確かにそうです。
だけども、もう一つ、知り置いておかなければならないと、結局、自分が俺が、で終わってしまう。
自分の事だけ、俺の事だけで、人生が完結してしまう。

 

最近、墓じまいを考えている方から連絡がありました。
見積もりを取りましたら、71万円でした。
これは、石材店の支払いだけの金額です。このお寺は、離檀料はいただいておりません。

 

その見積書をお送りしたところ、電話がありました。50代くらいの人です。
見積もりをみて、あまりにも高額だから驚いた、とても支払える状況にないから、ついては、質問だけれども、このまま放置させてもらえないか、と仰った。

 

いや、更地にして返してください。と申し上げたところ、開き直って、放置して逃げたら捕まるとか、なんか行政的な処分とかあるのか、と言い出し始めたのです。

 

たしかに、70年も前にたてたお墓ですから、契約書など残っておりません。そんな時代でしたから。だから、裁判をしたところで、こちらが負けるでしょう。

 

最後、放置すれば何かあるのか、とすごまれましたが、、、。

 

自分、自分、自分と突き詰めていくと、自分しか見えなくなっていく。
自分のことは、自分でする。自分は大切だ。、、、確かにそうだけれども、もう一つ、知り置いておかなければならないこと、それは、

 

言の葉3をご覧ください。声に出しましょう。

人智を越えたはたらき

 

ありがとうございます。
今月初め、他県に住むお檀家さんから、夜の9時頃に電話がありました。
奥様がまもなく亡くなるので、亡くなったら、通夜葬儀を自宅でしてもらいたい、と懇願されました。

 

私は、いいですよ、そちらまで伺いますよ、とお応えしました。
そして思ったのです。あの慌てぶりだと、医師に、覚悟しておくように告げられたのだろうな。おそらく、明日の朝には連絡が来て、葬儀の日程を考えなければならないだろう、と。

 

で、あの電話から2週間以上、経ちますが、奥様が亡くなったというお知らせはありません。
わからないのです。自分の寿命は、自分自身でも、お医者さんでも。

 

自分の身体なんだけれども、自分の思うようにはできない。
糖質制限をして体重を減らすことはできても、自分の心臓を止めたり動かしたりはできません。サプリを飲みつづけていても、動脈瘤ができることもあれば、いくら健康に気を遣っても、日一日と老い、もしかしたら、自分で自分の事ができなくなったり、わからなくなったりすることもあります。

 

そんな自分なんですね。
決して、万能、全能ではない。

 

現代を生きる私たちは、知性、インテリジェンスが全てのように思い込んでいるけれども、やはり、人智を超えたはたらきに手を合わすような謙虚さを忘れてはならないと思うのです。
私の思いや計らいを超えたものに頭を垂れるお互いでいたいのです。

 

 

人智を越えたはたらき、それを、ある人は神と拝み、ある人は佛と手を合わせ、ある人は、大いなる者、サムシンググレートと表現します。
名前はなんであろうとも、私たちは、自分という矜恃を持ちながら、あわせて、人智を超えたものに手を合わせるお互いでいたいと思うのです。

 

言の葉4をご覧ください。声に出しましょう。

 

日用の事、別なし 唯だ是れ自ずから偶諧(ぐうかい)す
頭々取捨にあらず 処々張乖(ちょうかい)を没す
朱紫 誰か号す 青山 点埃(てんない)を絶す
神通並びに妙用 水を荷いまた柴を搬(はこ)ぶ

 

 

ありがとうございます。
これは、龐居士が、石頭希遷禅師から「日用の事作麼生いかん(毎日の生き方はどうですか)」と質問されて、問われた時に応えたものです。

 

以下略

 

 


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