大童法慧 | 満月の夜の坐禅会 5月26日講話冒頭部
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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6月 05日 満月の夜の坐禅会 5月26日講話冒頭部

それでは、言の葉をご覧ください。その、1番を、まず、声に出しましょう。
私が先導いたしますので、それに続いて読んでください。

 

1、    体の中に
光を持とう
どんなことが起こっても
どんな苦しみのなかにあっても
光を消さないでゆこう  坂村真民

手放す 受け取る 調える

 

ありがとうございます。
先月の末、5月から坐禅会に参加したいとの電話がありました。はじめて坐禅をされるとのこと、郡山市内に在住の60代後半の男性でした。
ですので、皆さんがなさっているように、申込みフォームからお申し込みをしてください、とお願いしました。

 

坐禅会についての問い合わせや出欠は、すべてメールでやりとりをさせていただいております。なぜならば、このお寺は専門の修行道場ではありませんから、檀家さんを大切にしなければならない。電話の使用は、檀家さんとの葬儀や法事の打ち合わせに用いたいと考えております。

 

その旨をお伝えしたところ、その男性はすぐに申込みフォームから申込みをされてきました。そして、数日の間、毎日のようにメールで問い合わせをしてきました。
坐禅の時の服装はどうすればいいのか。何時くらいに行けばいいのか。早く着いた場合はどうすればいいのか。駐車場はあるのか。挙げ句の果てには、徳成寺に行くのにはどうすればいいのか。

 

私の答えは、すべて「ホームページをご覧ください。」でした。

 

三十年近く前、私がはじめて、福井県小浜市にある仏国寺に参禅の申込みをした時の事です。東京からお寺に電話をかけて、「○月○日から何日間、坐禅をしたいからお願いいたします。」と申し上げたところ、老師は「わかりました」とだけ応えられました。

 

そして、「何を持っていけばいいのか、どのようにそのお寺まで行けばいいのか」を伺おうとしようとしたところ、電話は一方的に切れていました。

 

今の時代の感覚で言えば、不親切極まりないと批判をされてしますでしょう。
でも、思うのです。老師に「人生の一番大事なこと」を教えてもらいに行くのに、「生きるとはどういうことなのか、死んでいくとはどういうことなのか」を問いに行くのに、どんな用意をしていけばいいのか、とか、東京から小浜までの交通手段なんかを聞くような在り方ではならないんじゃないかな、と。そんなの自分で調べて、自分で解決しなよ、って思うのです。

 

わからない人に手取足取り教える事も大切なのでしょうけど、手取足取り教えろよとふんぞり返っている人には、言葉は届かないと思うのです。
何かをはじめる、何かを学ぶ、そんな時こそ、まず謙虚にならなければならないじゃないだろうか。

 

昨晩、今回から坐禅会に参加したいと申し込んできた男性からメールがきました。「やっぱり、コロナが落ち着くまでは参加しません」、って。

 

坐禅というのは、どうやら身体にいいものらしいから、心が落ち着くらしいから、もしかしたら、悟れるかもしれないから、ちょっとやってみるかのおつもりだったのでしょう。
だから、「懸命なご判断です。ご欠席の連絡をしてくださいまして、ありがとうございます」とだけ返信しておきました。

 

言の葉2をご覧ください。随聞記です。少し長いですが、声に出しましょう。ここの段はとても大切なところです。

示に云はく、学道の人は後日を待て行道せんと思ふことなかれ。只今日今時を過ごさずして日々時々を勤むべき也。ここにある在家人長病あり。去年の春の比相契りて云はく、  【以下略】

 

 


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