6月 18日 そのまま
そのままのあなた、そのままの私も、どちらでもいいのですが、ここ数年間で、一番私が大切にした言葉、「そのまま」からはじめるを、最近上梓した本のタイトルに用いました。
「そのまま」というのは、御存知のように「今・ここ」からということです。
何かを準備してから、何かを片付けてから、ではないのです。
煩悩まみれで、生活もだらしないのだけれども、でも、そのままの私から。
人間関係も仕事も上手くいっていないのだけれども、でも、そのままの私から。
お釈迦さまは、このどうしようもない私そのままを、なんとも説明のつかない私そのままを救う、または、導かれたのだ、と。
そして、大切なことは、そうです。
「そのままの私」「そのままのあなた」からはじめよう、という点です。
そのままでいい、と完結していないのですね。そのままでいいと、開き直っていない。
先般読んだヤフーのニュースにこんな話がありました。ピザ屋さんで最近困っている3つの出来事のうちの1つが、ピザを配達した時に、お客さんの中に「要らない。やっぱり要らないよ」と断る方が少なくないそうです。
ピザ屋さんとしては、賠償してもらうために警察に訴えたり裁判沙汰を起こすよりは、廃棄処分したほうが早く解決ができるということで、問題は顕在化していないそうです。
皆さんは違和感を持たれたかもしれませんが、でも、考えてみれば、人間は誰しもそいうことになれる可能性を持っているんですよね。
と同時に、私たちはまた、智慧を育てていくことができるものでもあります。
つまり、どちらにでもなれる。
時代はどんどんと便利な方向へ進み、効率、成果ばかりを求め、人間は明るく楽しいこと、自分本位のことばかりに目が向きがちです。
私たちは、私たちの「そのまま」を問われているのです。
主人公
「そのままのあなた」からはじめる坐禅
そのままの自分からはじめていく。
気取ることも卑下することもなく、生きづらい世の中だけれども、「今・ここ」からはじめていく、そんなお互いでありたい。 6月10日 在家仏教講演会より抜粋
michaela
Posted at 10:08h, 30 6月私はカトリック信徒ですが、イエスがペテロに、網を捨ててついてきなさい、と言ったところを思い浮かべました。
大童法慧
Posted at 14:42h, 30 6月MICHAELAさん
「綱を捨てる」は、「そのまま」の一歩も二歩も先に行った感があります。
「いのちを棄損することなく」、、、「そのまま」「綱を捨てる」ところを味わいたいものです。