11月 25日 死生観を養うための、一考察
3年ほど前、43歳で亡くなった女性の葬儀をしました。
葬儀では、4つ年下のご主人が喪主をつとめました。その夫婦に子どもはいませんでした。
ご主人の会社は、大手のIT企業です。そこは若い方が多く、とても自由な雰囲気の会社だそうです。
奥様の49日を終えた頃のこと、彼は部下の一人にこう言われたそうです。
「課長、まだ落ち込んでいるんですか。お子さんもいらっしゃらないんだし、自由になれたじゃないですか。嫌なことは忘れて、次に行きましょうよ」
その部下は、彼を励まそうとしたのかもしれません。
残念なことですが、自身に喪失の体験がなかったがために、そんな表現しかできなかったのでしょう。
でも、彼にとって、この一言がよくなかった。
彼の言葉を借りると、「その時、自分の心が折れた音が聞こえた」というのです。
なぜ、部下は大切な妻を失った俺の悲しみを分かってくれないのだろうか。
なぜ、こんなこともわからない部下と仕事を進めなければならないのだろうか。結果、彼は心を病んでしまいます。
そして、半年ほど休職することになりました。
半年後、医者の許可がでて出社しました。
そして、そこでまた、驚くことになるのです。
その彼の部下は彼の上司になっていました。
しばらくして、また彼は子会社に出向を希望しました。
これは特別な話でしょうか。
本当は耳をふさぎたいことかもしれませんが、実は、誰にでも起こることです。心ない一言や誹謗中傷、恋人や連れ合いとの別れや死別、左遷やリストラ、急に告げられた病、巻き込まれた事故、どんな出来事が起こるかわかりせん。
その時、あなたは大丈夫だろうか。
中野知人
Posted at 22:57h, 25 11月こんばんは。特別な話だとは私は思いません。誰にでも起こりうることが、連続に起こったと。私もこの10年間に母親の介護、兄夫婦の裏切りで借金を背負い、一生続けていく仕事を理不尽な理由でリストラ、再就職したら今までの疲労でうつ病で退社、また再就職したら直属の上司のパワハラでうつ病再発悪化、借金を返済するまで勤務し退社。そして今の会社に。当時は逃げたかったし、大丈夫じゃなかったいつも180度物事が変わることしか考えていなかった。でも少しずつ進んでいって今にいたっています。
大童法慧
Posted at 09:32h, 26 11月中野様
コメント、ありがとうございます。
とてもお辛かったのでしょう。
180度の転換、という言葉に切実な想いがひしひしと伝わってまいりました。
来年、「死生観を養う」をテーマにした法話会を企画中です。法話会というよりも、考える場を提供したいと考えています。
お寺ではなく書店や喫茶店、飲食店で行います。機を得て、お越しいただければと願っております。
中野知人
Posted at 10:44h, 26 11月ぜひ機会があればいかせていただきます。
大童法慧
Posted at 01:51h, 29 11月このような場を提供したいと考えております。
http://tokujoji.jp/15houwakai/