11月 28日 没可把
没可把<もっかは>
何かをつかまえようとすればするほど、逃げていく。
ああでないか、こうでないかと考えれば考えるほど、遠ざかっていく。
かといって、不貞寝していては、話にならない。
明治十一年、大本山永平寺二祖 孤雲懐弉禅師六百回大遠忌での逸話。
修行僧や随喜の御寺院が問答をかけてくるのに、受ける小参師は、45歳頃の森田悟由禅師。
はじめの僧の、「如何なるか、是れ仏」との問いに、悟由禅師は「没可把」と答えた。
次の僧の、「如何なるか、祖師西来意」の問いにも、悟由禅師は「没可把」と答えた。
次々の問答、全て、悟由禅師は「没可把」と答えた。
そして、最後の問答の時、ある僧が有無を言わず、禅師につかみかかった。
悟由禅師は静かに微笑んで、「没可把」と答えたのみ。
その僧は力にまかせて、悟由禅師を引きづり倒そうとしたけれども・・・
泰然として動かぬ悟由禅師に、恐れをなして逃げたという。
没可把 つかむなよ
没可把 つかまないこともつかむなよ
没可把
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