4月 26日 満月の夜の坐禅会87回 冒頭部
言の葉をご覧ください。
その、1番を、まず、声に出しましょう。
私が先導いたしますので、それに続いて読んでください。
1、 体の中に
光を持とう
どんなことが起こっても
どんな苦しみのなかにあっても
光を消さないでゆこう 坂村真民
手放す 受け取る 調える
ありがとうございます。
こんなふうに野郎の独り暮らしで生きていますと、いろいろと批判されることも多くございます。
住職のくせに、、、坊主のくせに、、、が、だんだんと、あの野郎、あのバカ野郎となってきます。
おそらく、早く死ねばいいのに、と数人の方からも思われているでしょう。
先日、ある人から、「あなたは、自分が関心のないことは全て聞きながらすし、自分が興味のないことは、全く見ようともしない」と、言われてしまいました。
そう指摘されて、なるほどな、と思いました。
たしかに私は、たとえば、着る物については、身を包めればいいとしか思ってませんから、ファッションなどまるで興味がない。
ワンシーズン、3着ぐらいの服を着まわして、くたくたになるから、シーズンが終われば捨ててしまいます。
また、誰がどおしたとか、彼がどおしたとかの噂話の場には立たないようにしていますから、それだけ、要らない情報は受け取らなくて済みます。
現代の、この国を生きる私たちは、多くの情報にさらされています。
本当かどうかわかりませんが、私たちの1日に接する情報量は、平安時代の人達の一生分、江戸時代の人達の一年分とも言われています。
結果、ネット、テレビ、SNS、雑誌、また、多くの人とのコミュニケーションによって、知らなくてもいいことを知り、見なくてものをみて、頭でっかちになっている人が多いようです。
私は、テレビがありませんし、新聞も取っていません。
しかし、自分が学びたい書物は高額でも買いますし、学びたいと思う人や講義があるのならば、台湾でも北海道でも行きます。
思うのです。全部は手に入れることなどできないのに、必要以上にあくせくしてしまっているのではないだろうか。
もっと大切なことが、生まれてきてよかったと思える事柄が、この世には多く用意されているのに、そちらには目をつむり、好きだ嫌いだ、損した得しただけの世界で勝負を繰り返していないだろうか。
今日は、お釈迦様の話を二つ、紹介いたします。
ある時、若者がお釈迦様のところへやってきて、罵詈雑言を吐きました。
お釈迦様は、それをずっと黙って聞いておられます。
そして、悪口が終わると、静かに尋ねられました。
「お前さんは、友人を招待し、御馳走をすることがあるかい?」
若者が答えます。「そりゃ、あるさ」
「では、その時、友人が、お前さんの出した食べ物を食べなかったらどうする?」
「そりゃあ、食べなければ残るだけの話さ」
そこで、お釈迦さまは続けます。
「ならば、私を罵ってても、私がそれを受けとらなければ、その言葉は誰のものになるのだろうか?」
若者は反発します。
「いや、いくら受けとらなくとも、与えた以上はあんたのものさ」
しかし、お釈迦さまは首を横に振りました。
「それは与えたとは言えないのだよ」
若者が、ここぞとばかりに問いかけます。
「それなら、どういうのを受けとったといい、どういうのを受けとらないというのか」
お釈迦様は、かみ砕くように説かれました。
「悪口を言われたときに悪口を言い返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。それらは与えたものを受けとったこと。
でも、何かの悪意に対して、仕返しを試みないことは、その悪意を受けとっていないのだ」
若者は、たまらずに言い返します。
「それじゃあ、あんたはいくら悪口を言われても、腹は立たないのか」
それに対し、お釈迦様は厳かに詩によって答えられました。
「智慧ある者に怒りなし。万一吹く風荒くとも、心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、このゆえに愚か者のしわざなり」
これを聞いた若者は、「私は愚か者でありました。どうぞ、お許しください」と詫びたそうです。
これは、『雑阿含経』にある逸話です。
言の葉2をご覧ください。お釈迦様の言葉です。声に出しましょう。
智慧ある者に怒りなし。
万一吹く風荒くとも、心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、このゆえに愚か者のしわざなり
ありがとうございます。
ま、話で聞いたら、なるほどなとは思いますが、実践するのはなかなか難しい事柄です。
なにせ、お互い愚か者ですから。
しかしながら、この話を知り置くのと知らないのとでは、自分自身の在り方が少し違うのではないかとも思うのです。
一足飛びにはできないけれども、愚か者なんだという自覚があれば、悪口を言われた時、自分を貶められようとされた時、いわれのない誹謗中傷にさらされた時、「それは、受け取らない」という態度を現わすことはできるのではないだろうか。
そして、翻って、自分自身も、必要のない誰かの悪口や批判はしないように在り方になってくるのではないだろうか。私は受け取らない、そう言える態度をお互い保ちたいと思います。
以下、略
コメントはありません