12月 09日 満月の夜の坐禅会12月講話 その1
この話を皆さんはどのように感じたでしょうか。
ガンになってしまったことはとても残念で、悲しくて、やりきれないことだ。だから彼女は可哀想だ、と思ったかもしれません。
けれども、どうなのでしょうか。彼女は、本当に可哀想な人なんだろうか。
ここにある彼女の姿、心持は、あえて思い切った言い方をするのならば、ガンになったことで、豊かな時間、豊潤な実りを手にしていらっしゃいます。
「彼女は可哀想な人」と決めつけている人たちは、今の彼女のように「本当に生まれてよかった 本当に生きてきよかった」と言えるのだろうか。
ここを抑えておきたいのです。
確かに、人生いろいろございます。そして、そのいろいろに、私たちは振り回されてしまう。いろいろが自分の思い通りにならないと、騒いでしまう。
その根源は、「こうしなきゃならない、こうあるべきだ」という自分の思い込みでしょう。それが一番の問題だと思うのです。
自分自身にも、他者に対しても、「こうあるべきだ、こうしなきゃいけない」ってね。そして、お互いが傷ついてしまう。
ディスコース(discourse)という言葉をご存知でしょうか。
言の葉5をご覧ください。これは読んでいただきましょう。
今の説明のように、社会にはさまざまな約束事・定説・常識・道徳が機能しております。それがあるおかげで、生活を守ったり、秩序を維持したり、リズムを作ってもいます。
ただもう少し深めて言うならば、社会にはさまざまな約束事・定説・常識・道徳の根底にあるものは何かというと、「こうしなきゃならない、こうあるべきだ」という自分の思い込みではないでしょうか。
そして、想定外の事が起きた時に、そのディスコースが自分自身を深く傷つけてしまう。その人の作り上げたディスコースによって、自棄をおこしたり、前を向けなくなったりしてしまう
その自らが作り上げた言説(ディスコース)をいかに離れていくのか。 (以下略)
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