大童法慧 | 眼にて云う
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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3月 18日 眼にて云う

 

2年前、ご主人の7回忌の折、「私も戒名をもらえないかな」と生前戒名を求めた人。
相談の結果、3ヶ月後に生前戒名の儀式を執り行う。

 

そして、久しぶりの電話。
呂律の回らない口調。

 

「実はね、二ヶ月ほど前にがんが見つかったのよ。大腸がん。お医者さんが言うにはさ、もう手術はできないんだって。だから、痛みをとってもらうだけなのよ。だから、今、葬式が気になって。娘には伝えたのだけれど、葬儀社と斎場は主人と同じところ、あとの気がかりは法慧さんにしてもらいたいのよ」、と。

 

「いいですよ」と応えたら、「これで安心。もう思い残すことはないわ。全部すっきりした」とのこと。

 

思い切って「今、どんなお気持ちですか」と尋ねたら、「うん、さっぱりしたの。全部、最後まで自分で決められたからね」と。

 

しかし、数秒後。
「けどね、、、」という言葉の後に仰ったことは、「やっぱり、怖いのよね。死んだあと、どうなるのかなって。こんなことを娘には言えないけれど、やっぱり、怖いと思ってしまう時がある。まぁ、仕方ないよね」と少しの笑い声。

 

その乾いた笑い声に、人間の哀しさを手に取って見せてもらった気がした。頭では解決していても、いざ死を前にした時の不安や緊張は決して無くなるものではない。けれども、それでいいのだ、と。

 

眼にて云ふ    宮沢賢治

だめでせう

とまりませんな

がぶがぶ湧いてゐるですからな

ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから

そこらは青くしんしんとして

どうも間もなく死にさうです

けれどもなんといゝ風でせう

もう清明が近いので

あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに

きれいな風が来るですな

もみぢの嫩芽と毛のやうな花に

秋草のやうな波をたて

焼痕のある藺草のむしろも青いです

あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが

黒いフロックコートを召して

こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば

これで死んでもまづは文句もありません

血がでてゐるにかゝはらず

こんなにのんきで苦しくないのは

魂魄なかばからだをはなれたのですかな

たゞどうも血のために

それを云へないがひどいです

あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが

わたくしから見えるのは

やっぱりきれいな青ぞらと

すきとほった風ばかりです。

 


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