大童法慧 | 米汁呑了信士
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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2月 06日 米汁呑了信士

先日、妙齢の女性が「父親の戒名を見てほしい」と訪ねて来た。
お父様の俗名は、清さんとのこと。
職業は、配管工だったとのこと。
そして、ご戒名は、配管清道居士。

 

「これで40万円も請求された」と憤慨する彼女。
「父親の職業と名前に、道と居士をつけただけじゃないか」と言う彼女の指摘は、正しい。
だから、「菩提寺さんは何か深い考えがあって、そうされたんじゃないのですか」と応えたら、「どんな考えがあるのですか!」と怒り出す始末。
そうなると、「直接、菩提寺さんにお尋ねください」と言うしかない。

 

そういえば、数年前、自分で母親の戒名をつけたいと語る人に出会ったことがある。
「母親は美容師として働いてきたので、美髪院○○○○大姉にしようかと考えてる。けれど、もし、美容院ってつけられるのならば、美容院○○○○大姉にしたい」と彼は言った。
「えっ、そんなのでいいの?」と思ったけれど、「菩提寺さんにお願いしてみては」と応えておいた。

 

葬儀社の社長さんとの会食で、彼が見た思い出深い戒名を紹介された。
県職員の方の戒名に、公務院○○○○居士
郵便局の職員の方の戒名に、郵政院○○○○居士
「こんなんで、本当にいいのですかね?」と彼は嗤った。

 

「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上つぶした」と唄われる小原庄助さんの戒名は、米汁呑了信士。
辞世の句は、「朝によし昼になほよし晩によし、飯前飯後その間もよし」らしい。

 


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