6月 30日 絵本で学ぶメメント・モリ ~禅のものの見方を交えて~ 冒頭部抄
いかがでしたでしょうか。
軽く悟りを開かれた方はいらっしゃいますか。坐禅をして、スカッとしたな、心のわだかまりが解き放たれたな、と思った方はいますか。
おそらくほとんどの方は、様々な事が浮かんで来て、あれこれと考える時間になったのではないのでしょうか。
思い浮かんできたことを、相手にしない、邪魔にもしないはずの坐禅の時間が、思い浮かんできたことや抱えている問題にがっぷり四つに組んで、頭の中で、心の中で解決しようと試みたのではないだろうか。
でも、それでいいのです。
なぜならば、そのような時間が、今のあなたには必要だったからです。そんな時間を過ごすことで、その時間分だけの思いを手放すことができたと思ってください。
坐禅会に参加する人たちのなかには、過度に期待してしまう人もいます。
坐禅や修行をすることで、心に落ち着きを得たいとか、素晴らしいものを手にしたいとか、何か特別なものになれるのではないかとか、と。
そんなふうな人たちの多くは、心の落ち着きを得る前に坐禅から遠ざかっていきます。
坐禅会に数回来たら、自分には合わないと思ってしまう。決断の早い方ならば、1回の体験で、もう坐禅をしても仕方がないと思ってしまう。
じゃあ、なぜ、そうなるのだろうか。
それは、、、自分の都合で、結果を求め逸るからです。
こんなところにも、顔をだしてしまうのですね。
自分の都合のいいように考える癖が。
現代の日本人は、知識、知性が全てです。
知識を蓄え、知性を磨けば苦しみがなくなる、もしくは、問題が解決するというような風潮です。
たしかに、そんな一面もあるのでしょう。
でも、知識や知性だけでは届かない世界もある。
例えば、それは、メメント・モリを語るのであるのならば、自分の都合ではなく、命への信頼、大いなるものへの気づきがなければならないのではないだろうか。
以下略
コメントはありません