大童法慧 | 11月 満月の夜の坐禅会講話 その1
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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11月 04日 11月 満月の夜の坐禅会講話 その1

11月 満月の夜の坐禅会講話の冒頭部分です。

 

 

11月となりました。
私にとって、この11月はとても思い入れの深い月でございます。何故だかわかりますか?・・・そう、11月17日が誕生日なんです。
気持ちは18歳のままなのですが、今年は48歳になります。

 

年を重ねて学んだことの一つに、こんな気付きがあります。それは、「仮に今、どんなに深い悩みを抱いていたとしても、そのほとんどは5年、いや、3年も経てば、その悩みの質や肌触り、というものは変化する」ということです。そう、「必ず変化するのです」

 

痛くて痛くて辛かったけれども、悔しくて悔しくて仕方なかったけれども、その想いの質は変化します。

 

と同時に、悩みが悩みでなくなる時節が訪れる。
もっというならば、その悩みがあるおかげで私は私であったんだ。その悩みがあったおかげで、私は生きてこれたんだ、導かれたんだと。
ありがたいことに、人間はそんなふうにもなれる。

 

ただ残念なことに、本当に残念なことななんだけれども、そんな悩みの質や肌触りが変化した3年後や5年後にはまた、新たな問題、違う悩みを抱えている自分がいるのです。そんな繰り返しの48年間でした。

 

皆さんは、いかがでしょうか。  以下略


2 個のコメントがあります
  • 中野知人
    Posted at 23:23h, 17 11月 返信

    はじめましてと言っても以前、お会いしたことがあります。総持寺でさくら舎さん主宰の座禅会でお世話になりました。覚えていないかも知れませんが、、、。(ちなみに竹刀を持ち込んで参加していました)。毎回更新されるたび拝見しています。ここのところ色々あり何故かコメントしたくなりました。私も同じように悩みがなくなりまた新しい悩みの繰り返しでした。私も来月で48才になります。

    • 大童法慧
      Posted at 16:54h, 18 11月 返信

      中野様
      コメント、ありがとうございます。また、お久しぶりです。

      緩い更新頻度で、申し訳なく思っております。

      最近、安田理深先生のこんな言葉に出逢いました。

      「人生が行き詰まるのではない  自分の思いが行き詰まるのだ」

      向寒の砌、ご自愛ください。    法慧合掌   

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