大童法慧 | 5年間
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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10月 08日 5年間

 

痛みは心だけではなく、身体にも現れる。

 

「死ぬことは怖くありません。だって、向こうに行けば主人と会えるから」と仰る還暦を前にした女性と出逢いました。

 

彼女はおよそ30年前にご主人と死別しました。
以来、幼い二人の子どもを抱え、懸命に働きました。
今では、それぞれに家庭を持ち近くで暮らしているとのこと。お孫さんもいらっしゃるそうです。

 

「主人と死別してからの5年間、私は死んでました」と彼女は表現しました。
「それはどういうことですか」とお尋ねすると、「あまりにショックが大きくて、私という個人がなくなり、唯の物体のようでした。たとえば、食事の準備をし、子どもに食事を摂らせる。けれども、その片付けができなかったのです。僅かなことでも、それを休み休みしなければ、し遂げることができませんでした。そして、身体中が痛かった。でも、死別して5年が経った頃、片付けがさっとできた自分に気づいた時、ああ、なんとか私に戻ることができたんだ、と思えました。すると、不思議と身体の痛みも消たのです」

 

それを経験しなければ学べないことが人生にはあります。
叶うならば、痛いことはさけたいのも人情ですが、避けれないことも人生にはあるのです。

 


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