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何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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11月 28日

昭和45年7月7日 産経新聞の特集です。 三島由紀夫の『果たし得ていない約束』 という寄稿文にある一説です。

 

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

 

今、この国の姿は三島由紀夫にどのように映るのだろうか。
口をきく気になれない人が増えたのだろうか。

 

グローバルという視点から、愛国という考えは零れ落ちたように感じます。
そして、憂国という言葉には、軍靴の音を感じる人もいるでしょう。

 

かつて、釈迦族はコーサラ国に滅ぼされました。
その際、お釈迦さまは「親族の陰は涼しいものである」と仰ったと伝えられています。

 

 

宮沢賢治の言葉を添えておきます。
世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。『農民芸術概論要綱』

 

 

 


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