2月 18日 癖や思い込み
『「そのままの私」からはじめる坐禅』の校正で、自分の文章の癖や思い込みをまざまざと突き付けられました。
その大きな誤りの一つ。
ある日の坐禅中、如浄禅師は居眠りする僧を見て、「坐禅は身心脱落である」と言いました。その言葉を聞いた時、道元禅師は真実なるものをしっかりと見届けることができたと伝えられています。
この文章を読むと、寝ている修行僧を見た如浄禅師は「身心脱落だ」と認めたように受け止められるでしょう。それを聞いた道元禅師は、「なるほど、寝るのが身心脱落」なのか、と。
恥ずかしながら、この誤りにきづいたのは校了ギリギリでした。
結果、以下の訂正をしていただきました。
ある日の坐禅中、如浄禅師は居眠りする僧を見て、「坐禅は身心脱落である。眠りこけてどうするのだ」と一喝しました。その言葉の響きに触れた時、道元禅師は真実なるものをしっかりと見届けることができたと伝えられています。
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