投稿日時 09:47
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僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
時折お邪魔をする新橋の居酒屋で、お医者さんから教えてもらったネタ。 それを、ある法話会でご紹介すると、、、「それは笑点の大喜利でやっていたものだよ」と教えられた。 迂闊にも、そのまま使ってしまったのが恥ずかしい。 18歳と81歳のちがい …
投稿日時 10:12
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僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
平成30年 年頭の覚書 何一つ とどまるものなき 世の中に ただ苦しみを留め 苦しむ すこしずつ 盃に入る 酒なれど 家田畑も ついに傾く
投稿日時 14:23
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僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
父親の13回忌を迎えた74歳の老女。 二人の子供は、大阪と仙台でそれぞれに家庭を持つ。 数年前に夫を見送り、独りで暮らす。 正月に法事を申し込んだつもりが、忘れていたという。 9月に改めたところ、その時間になっても来ない。 何度も詫びて、「ほんとうに恥…
投稿日時 21:46
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僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
2017年スピリチュアルケア学会。 基調講演は、「苦とどう向き合うか ~仏教の業思想を手がかりに~」京都文教大学学長 平岡 聡先生でした。 続くシンポジュウム「社会倫理の中のスピリチュアルケア ー 苦と慈悲の視点から」において、とても驚い…
投稿日時 08:07
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僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
私は、お通夜やご法事で絵本を用いてお話をさせていただくことがあります。 とても素敵な本もあるのですが、自分でも書きたいという想いが募り、ここ数年来、絵本テキストに取り組んでいます。 小学生の女の子が、祖母との死別、通夜、葬儀、荼毘を経験するストーリー。 出版社に持ち…
投稿日時 07:30
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僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
『「そのままの私」からはじめる坐禅』の校正で、自分の文章の癖や思い込みをまざまざと突き付けられました。 その大きな誤りの一つ。 ある日の坐禅中、如浄禅師は居眠りする僧を見て、「坐禅は身心脱落である」と言いました。その言葉を聞いた時、道元禅…
投稿日時 00:06
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僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
わずか2000字程度の原稿を七転八倒しながら、また、己を呪いながら過ごす時間。 何にも浮かばず時間が過ぎる。 かといって、寝ることもできもない。 まぁ、幸いに脱稿したけれども、その零れ落ちた部分。 書けなかったところの備忘。 情愛が深く絡む他者は、特に…
投稿日時 10:02
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僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
産経新聞 平成21年7月16日 朝の詩 より 草抜き 兵庫県養父市 米田啓祐 70歳 庭の草を抜いていると 頭の中に 次々と わき出てくる ことがある よく見ると 自分中心のことばかり いっしょに 抜いてしまおう と思うが 私という…
投稿日時 09:52
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僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
『夜と霧』V・E・フランクルにある「テヘランの死神」の件です。 この話は、私たちが下す判断というものは案外と頼りにならないものであるという視点を与えてくれます。 決して、安易な運命論に堕してはなりません。 裕福で力のあるペルシア人が、召使いをしたがえて屋敷の庭をそぞろ歩いていた。…
投稿日時 21:57
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僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
人間はスピリチュアルペインを持ち得る存在であるといえる。生死の痛みや疼きは、生き辛さやどうにもならない困難と出会ったり、病や死を突き付けられたり、罪の意識や自責の念に苛まれたり、価値観や死生観が揺らいだりと個々人で異なるものである。 De…