大童法慧 | おでん
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
16772
post-template-default,single,single-post,postid-16772,single-format-standard,ajax_fade,page_not_loaded,,vertical_menu_enabled,side_area_uncovered_from_content,qode-child-theme-ver-1.0.0,qode-theme-ver-7.2,wpb-js-composer js-comp-ver-5.0.1,vc_responsive
 


8月 19日 おでん

一年に一度、必ず会う友人がいる。
彼のお寺の施食会の、法話の講師として、私を招いてくれるからだ。
彼は、こんな私に、話す場を与え続けてくれている。

 

彼のお寺はやや遠方なので、前泊する。
そして、会えば飲む。
河岸は、決まってホテル近くのおでん屋。

 

「法話の例話で、震災や復興の話をされるのは、もう聞きたくないんだよね。そこで起きた美談ばかりを語られるのは大きな違和感があるし、情緒や慰めの言葉、いい言葉なんかも必要ないし。」と、その地に住む彼は指摘する。
そして、「僧侶は無傷で健全でなけりゃいけないとか、法話をするからには聖人君子じゃなきゃいけないっていう考え方も、可笑しな話だよね」と続けた。

 

確かに、世の中は綺麗ごとばかりじゃない。
人間にはおどろおどろしいところもある。
私自身も、そうだ。
濃いめのハイボールを飲みながら私は、「俺は阿呆やからね。けど、阿呆やからこそ言える言葉、愚か者だからこそ説ける法があることは学べたかな」と応えた。

 

今日もいいことがありました!

 

original

 


コメントはありません

コメントを残す