大童法慧 | 学校
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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4月 02日 学校

 

上智大学グリーフケア研究所臨床コースの新年度がはじまりました。

 

1年間の学習契約を発表しました。

私の学習契約

1、 折伏ではなく、摂受を学ぶこと

2、 老いを体験として学び、言語化すること

3、 ジムに通うこと

 

「スピリチュアリティ」についての小さな省察

「スピリチュアリティ」の定義はない。語訳すれば、文脈によって「霊性、精神性、宗教性、全人格的、実存性、大いなる受動性、いのち」などの幅広い言葉が用いられる。それ故に「スピリチュアリティ」は、宗教学、社会学、文化人類学、心理学、人の幸せや生活の質(QQL)、医療や看護、ターミナルケアなどの分野で重要な概念として研究されている。

 

心得ておかなければならないことは、「スピリチュアリティ」は宗教者や霊能者だけに与えられた特別なものではなく、誰にでもあるということである。そして、不可視でもあり不可知でもある「スピリチュアリティ」の特徴は、個人的体験を重視し、超越的な次元にある何かとつながる感覚であり、自己が高められていくという実感であり、たとえどんな状況にあっても「今そのままの私」を救う安心(あんじん)となるものである。

 

その「スピリチュアリティ」を志向する現代人は、I’m not religious, but spiritual. という表現に象徴されるように、宗教を必要としていない。なぜならば、組織としての宗教が持つ権威や排他や拘束を窮屈に感じるからである。故に、個人の癒しや解決を望もうとする。そこには、カール・ヤスパースの指摘する限界状況や人生の四季の訪れのなかで、それぞれに「スピリチュアリティ」を養い育てていく姿がある。

 

 

残り1年。さぁ!

 

今日もいいことがありました!

 

 


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