大童法慧 | 信仰についての備忘 その1
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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2月 17日 信仰についての備忘 その1

ア、

首都圏に居を移したお檀家さんから「離檀したい」との申し出。「近くにお墓を移したい」とのこと。

留めつなぐことはない。自由なのだから。

自由なんだけれども、次に求めるお墓の基準は、「近くて、安くて、便利」な場所。

決して「曹洞宗のお寺」ではない。

 

イ、

戒名をいただくとは、「お釈迦さまのお弟子になること」という決め台詞。
その説明は、決して心を揺さぶるものではない。

 

ポイントの一つは、死生観を共にする視座。

 

ウ、

実は、先祖供養だけで完結している。
坐禅も、法話もいらない。

 

エ、

神仏の名を借りての供養。神仏を必要としない供養。

どちらも同じ。

結局は、私の弔い方が一番となる。

神仏と共なる供養、という視座。


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