大童法慧 | 煙雨
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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12月 04日 煙雨

独り暮らしは 気ままで自由で とてもいいものだと思ってた

独り暮らしは いつでも どこでも どこにまでも行けると思ってた

独り暮らしは なんでもできると思ってた

 

しかし、、、ある日 猛烈な寂しさに 頬を殴られたら

 

朝ご飯を食べられなくなった
でも 仏飯は必ず作らなければならない
昼ご飯も口にできない
夜ご飯も面倒だから 結局 飲んで誤魔化す
この年になって解ったことは 食べなければ随分と痩せることだ
・・・糖質制限なんか全く関係なかったな

 

洗濯物は干しっぱなし
そこから 今日着る物を引っ張り獲る

 

裁縫はできない
ゴムが伸びきった作務衣を引きづりながらはき 襦袢のほころびに目をつむる

 

フロの掃除が面倒だからと
2時間無料のチケットを手に 30分ほど日帰りの温泉に

 

部屋の掃除をする気にもならない
でも 本堂と境内は綺麗にしておかなければならない

 

息をするのも精一杯だけれど、坐禅と朝課と祈祷だけは欠かさない
・・・それは私の核だから

 

なにかないかと 今日も 空を眺める
かかってくるはずのない電話を心待ちにして 歯をくいしばる

 

でも 結果 何もない
私の独り暮らしは 寂しさと後悔 そして 己のだらしなさの露堂々だった

 

こんな52歳の阿呆に
朝は おにぎりと卵焼きを 持って行こうかとLineをくださる人がいる
昼は 店に食べにこいと 誘い出そうとしてくださる人がいる
夜は 飲みに行こうと 声をかけてくださる人がいる
小田原のお姉さんは 未だに私を ご老師様と呼ぶ
都内の社長さんは 先生どうですかと 電話をくれる

 

本当にありがたいと嗚咽する
既に 私は宝物を手にしていた

 

・・・けれども私は 何があっても 檀信徒各家の供養と祈祷の責は果たす

 

廬山は煙雨 浙江は潮
未だ到らざれば千般恨み消せず
到り得て帰り来たれば別事無し
廬山は煙雨 浙江は潮       蘇東坡

 

 


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