6月 11日 いとやすき道
佛となるに、いとやすきみちあり。もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のために、あはれみふかくして、上をうやまひ下をあはれみ、よろづをいとふこころなく、ねがふ心なくて、心におもふことなく、うれふることなき、これを佛となづく。又ほかにたづぬることなかれ。 『眼蔵』「生死」巻
いとやすき道と示されても、それができないお互いです。
けれども、少し視座を高めてこのお示しを頂戴するならば、これは方法論ではなく、「今・ここ・そのままの私」が常に問われ、常にはじまりであり、佛そのものと相違ないのだ、と。
お釈迦さまは、「正覚を得ずばこの坐を立たず」と足を組まれました。
私たちもまた、「今・ここ」から。
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