7月 14日 いのちが私をしている
「いのちが私をしている」 大井 玄先生
僭越ながら、「いのちが私をしている」という言葉、これこそ真実の言葉だと存じます。
「いのちが私を生きている」とは、お釈迦さまが成道の叫びの言葉である、と。
それは、「奇なるかな、奇なるかな。一切衆生、悉く皆な如来の智慧徳相を具有す」です。
これをお釈迦さまは仏性があることを悟られた、縁起を悟られたと訳している方が多いのですが、実は、いのちの実相を悟られたと思うのです。
即ち、「いのちが私を生きている」の「いのち」のことです。
その「いのち」とは、三世十方を貫くいのちです。
過去・現在・未来の三つの世界。東西南北の「四方」と、「上下」を足した六方に、四方の合間の「四維」を足した十の方角。
つまり、無限の時間と無限の空間を貫くいのちです。
それは、私の中にもある30数億年前からある「いのち」であり、今後、私の子孫(いてもいなくてもです)に連なる「いのち」です。
万物の生命同根なるいのちです。
これを、禅門では、「本来の面目」と言ったり、「本来の自己」「真実なるいのち」と呼んでおります。私は「ひとつながりのいのち」と称しております。
いずれにしろ、私がとても驚いたことは、先生が命の現場に立ち会うなかで、その「いのち」に気づかれたことです。
お釈迦さまの悟りと同じ景色を手にされたことです。
時節柄、ご自愛ください。
また親しくお話ができればと願っております。 法慧感謝合掌
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