大童法慧 | 独坐大雄峰
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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11月 07日 独坐大雄峰

ある時、一人の僧が百丈懐海禅師に問います。「如何なるか是れ奇特の事」
つまり、この世で一番有り難いものは何ですか、一番貴いものは何ですか、と。

 

あなたならば、何と応えるだろうか。
お金や土地、恋人や家族、信仰や神仏。さぁ、何でしょうか。

 

百丈懐海禅師はカラッと言い放ちました。「独坐大雄峰」
つまり、「今・ここ」俺が坐っておることが一番有り難く尊いことじゃ、と。

 
その俺とは自分を変えたい人とか、美味しい想いをしたいとか、今以上の自分になりたいとか、自分だけは特別な何かでありたいと彷徨う俺ではありません。まして、独りよがりの、己のみ高しとする傲慢な俺でもありません。

 

 

独坐大雄峰。
「今・ここ」にあるこの命は、人智を超えたはたらきなのだと頂くことからはじめなければならないでしょう。

 

 

 


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