6月 03日 草抜き
平成21年、産経新聞の朝の詩にありました。
「草抜き」 兵庫県 米田啓祐 70歳
庭の草を抜いていると
頭の中に
次々とわき出てくることがある
よく見ると
自分中心のことばかり
いっしょに抜いてしまおうと思うが
私という大地に深く根ざしているのか
なかなか抜けない
米田さんは、とても正直なお方だと思うのです。
70歳になっても、まだまだ、自分中心のことばかりだ、と仰います。
その言葉の傍には、人間は単純なものではないし、また、いつも正しいことばかりじゃなくて、案外と、厄介で困難で扱いにくいものでもあるという想いもあるのでしょう。
しかしだからといって、草抜きを諦めて放り出すのではなく、それでもなんとかしよう、抜けなくてもその草を眺めながらでも生きていこうという逞しい姿勢を保たれています。
私もまた米田さんと同じです。
自分中心の草が生い茂っています。だから、どんなに素晴らしい話を聞いても、どんなに素敵な絵や音楽に触れても、どこまでも、自分中心になってしまう。そうして、自分中心の仏教、自分中心の坐禅となってしまう。
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