大童法慧 | 18歳と81歳のちがい
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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1月 20日 18歳と81歳のちがい

 

時折お邪魔をする新橋の居酒屋で、お医者さんから教えてもらったネタ。
それを、ある法話会でご紹介すると、、、「それは笑点の大喜利でやっていたものだよ」と教えられた。

 

迂闊にも、そのまま使ってしまったのが恥ずかしい。

 

18歳と81歳のちがい

道路を暴走するのが18才、逆走するのが81才

心がもろいのが18才、骨がもろいのが81才

偏差値が気になるのが18才、血糖値が気になるのが81才

恋に溺れるのが18才、風呂で溺れるのが81才

まだ何も知らないのが18才、もう何も覚えていないのが81才

東京オリンピックに出たいと思うのが18才、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81才

自分探しの旅をしているのが18才、出掛けたまま分からなくなって 皆が探しているのが81才

「嵐」というと松本潤を思い出すのが18才、鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81才

 

これを紹介したうえで、「老耄のめぐみ」についてお話させていただきました。

 


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