大童法慧 | houe_admin
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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Author: houe_admin




12月 04日

文字通りあっという間の、2年間でした。 なんで、主人だけが、あんな目にあわなくては、いけなかったのか? みんなに好かれ、優しく真面目な人だったのに、何故? 「まだ、あなたは若いし、幸いに子供もいないから・・・」 そんな理由で、やり直しが出来ると、口をそろえたようにみんなに言われてしまうのは、私に隙があるからでしょうか。 何をもってしても埋められない心の隙間 母から、「彼は旅に出たと思いなさい」と言われた時、少し心が晴れました。 旅に出たのなら、また、必ず会えるって。 ・・・私事ながら、11月24日、伯父が亡くなりました。母の兄になります。 高松市で通夜葬儀。 泊まったホテルで流しっぱなしにしたテレビ。 あるCMに、「だけれども、生きる」という一句がありました。 何のCMかは分からなかったけれども、、「だけれども、生きる」という一句に響きました。 私たちは、それぞれに多くのものを抱えながら、挫けないで、諦めないで・・・ 「だけれども、生きる」お互いでいたいものです。
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11月 25日 ありがとう

お釈迦さまがあるとき、弟子の阿難に尋ねました。 「あなたは、人間に生まれたことをどのように思っていますか?」 すかさず、阿難は応えました。「はい。とても喜んでおります」 あなたは、人間に生まれたことを喜んでいますか。 実は、ここが私たちの出発点なんです。人間に生まれたことを喜ぶ視点。 人間に生まれたことをいじけたり、恨んだりしていても、私たちの人生ははじまらない。 お釈迦さまが、また、重ねて尋ねます。「では、あなたは人間に生まれたことをどのくらい喜んでおりますか?」 すると、阿難は答えに窮してしまいます。 たしかに、人間に生まれたのは喜んではいるけれども、どのくらい喜んでいるのかと言われたら、、、考えてしまいます。 私たちの人生、一日を振り返れば、いいことばかりではない。 時には、「ああ、もう何もかも嫌になった」という日もあれば、お酒を浴びるように飲まなきゃおさまらない日もあります。 答えに窮した阿難をみて、お釈迦さまは、「盲亀浮木の譬」と伝えられている話をされました。 「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいた。 その亀は、100年に1度、海面に、ぽっと顔を出すという。 ある日、その広い海には1本の丸太棒が、波に揺られ浮いていた。 その丸太棒の真ん中には、小さな穴があいていた」 広い海、100年に一度浮かび上がる目の見えない亀、漂う小さな穴のあいた丸太棒。 ここで、お釈迦様は仰います。 「阿難よ。 100年に1度浮かびあがるその目の見えない亀が、 浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴にひょいっと頭を入れることが有ると思うか?」 阿難は驚いて答えます。 「お釈迦さま、そんなことは、とてもありえません」 すると、お釈迦様は間髪いれずに仰った。 「お前さん、絶対にない、と本当に言い切れるか?」 迷いながら、阿難は答えました。 「いえ、もしかしたら、もしかしたら、万が一、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、でも、それは、やはり、絶対にない、と言ってもいいくらいありえないと思います」 すると、お釈迦さまはこうお示しになられたというのです。 「阿難さんよ、私たちが人間に生まれることは、実はその亀が、丸太棒の穴に首を入れることよりも難しいことなんだ。 そのくらい、私たちの命が、今・ここにあるのは、有難いことなんだよ」 命の有難さを体感し、実感した言葉が、「ありがとう」 「今生きていること」、それは、とて有り難いこと。 条件なしに、有り難いこと。 だからこそ、有り難いこの命を喜ぶ、楽しむ、使う。 「私たちの命は有難いものだ」と心底思うところから伝える言葉、それが、ありがとうなのです。
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11月 10日 私儀

謹啓 深秋の候 皆様には益々のご清祥の段慶賀に存じます                                         私儀 五年余勤めました大本山總持寺を 十月二十八日に乞暇いたしました この間 一方ならぬご指導とご厚情を賜り 衷心より御礼申し上げます これから…

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10月 23日 行蔵

文字通り、穴があったら入りたいような失敗もする。 嵐のような叱責、言われたくなかった言葉、やり過ごす時間。 『法句経』 227 アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。 228 ただ誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。 今日ほめて 明日悪く言う 人の口 なくも笑うも ウソの世の中         一休さん そう、雨が降らなければ、虹はでない。
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10月 10日 切<せつ>

「いつか・・・」「そのうち・・・」「きっと・・・」で、今年、45歳。 口にできなかった言葉、袖を通さなかった服、会えない人。 健康にに生きたいと願う自分自身の、その隣で、自分自身が病を作る。 死にたくないと生きている自分の、その隣で、自分自身が老いを作り、死を作る。 「いってらっしゃい」といつも通りに送り出したあの日。 まさか、それが最後の言葉になるとは、夢にも思わなかった。 こんなことになるのなら、、、こんなことになると知っていたのなら、、、 吾 常に ここに於いて 切なり
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9月 28日 四弘誓願文 私訳

衆生無辺誓願度 人生を長短ではなく、濃淡で汲み取る覚悟をいたします 煩悩無尽誓願断 人生を私からではなく、公や義からはじめる視点を育てます 法門無量誓願学 人生を知恵だけではなく、智慧を育てる視点を持ち続けます 仏道無上誓願成 人生を今生だけのものではなく、「ひとつながりのいのち…

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9月 13日 特効薬

母の不治の病を知り、何とか治したいと一心に祈る青年 嫁いだ娘の不貞を聞き、孫のために何とか元の鞘に収めたいと願う父親 今日15時までに支払わなければならないお金 如何ともしがたい事実を突き付けられた時 何かにすがろうとする人もいる でも、世の中、お人よしは多くない むしろ、神や仏をちらつかさせて近寄る者もいる 前世 先祖 悪業 たたり 目に見えないものを突き付けられて、結局、お金に換算 でも、、、人生に特効薬などはない 答えを出せない問いもある 答えを出してはならない問いもある 特効薬などない。抱えながら生きていく。 、、、そう決めたとき、心の変化が現実を変えてしまうこともあるのです。
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8月 26日 売り言葉に買い言葉

お釈迦さまは、罵詈雑言をあびせたバラモンに、にこやかに問われた。 「あなたのところに、お客さんが来て、あなたがに食べ物を出したとしよう。 でも、そのお客さんがその食べ物を受け取らなければ、その食べ物は誰のものになるだろうか」 間髪をいれず、バラモンは応えた。 「もちろん、その食べ物は私のものだ」 その答えをまって、お釈迦さまは続けられた。 「では、バラモンよ、私はあなたの言葉を受け取らない。 だから、その悪口はあなた自身のものだ」 ここで、気づいたバラモンは偉かった。 100点満点の人生など、ない。 あの人の一言。 匿名の書き込み。 何も言い返せなくても、自分を保つことができるだろうか。 何か言い返さなくても、心を乱さないでいられるだろうか。 「智恵ある者に怒りなし。よし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。 怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かものの仕業なり。」
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7月 15日 随処作主

多忙のため 全く 自分の時間がありません 多用のため 全く 自分の時間が持てません でも イライラせず 投げ出さず そんな昨今、ふと浮かんだ言葉 随処作主 立処皆真 <ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり> 随所に主となるとは、「俺が」「私が」と主役を張ることではないのです お客様に主役を任せてもいい 連れ合いに主人公を委ねてもいい 随処作主 とは、「ひとつながりのいのち」あることを知って、全てを楽しむこと そうすれば、おのずから、立処皆真 つまり、「いま・ここ」が宝の山
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