大童法慧 | 法話
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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法話




8月 13日 命を寿ぐ

  この国は「前例のない高齢社会」を迎えています。健康長寿の論理的帰結の一つに認知症の増加があります。認知症の中核症状やBPSDを学習しても、感情は最後まで残るのだと教えられても、家族介護者の疲弊は解消できません。厚生労働省は新オレンジプランを展開していますが、地域社会…

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6月 25日 問題

遅刻 失敗 思い違い 一つのミス そうすると、あなたそのものが悪いと追い詰められる 問題が問題でなく、人格や存在が問題となる 結果、「腹を切るまで許さない」 その事実が悪いのか、それとも、あなた自身が悪いのか   お釈迦さまと弟子の問答です。 弟子「知って犯した罪と知ら…

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5月 14日 行というものへの小さな考察と期待

二宮尊徳は『二宮翁夜話』に「神道は開国の道なり。儒教は治国の道なり。仏教は治心の道なり」と記した。このシンクレティズムの様相を彼は「神儒仏正味一粒丸」と表現した。それは、神道・儒教・仏教のいいところが対立することなく混ぜ合わせたものであり、日本人が育ててきた宗教性を象徴した言葉で…

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4月 29日 その時

  曹洞宗で用いられるお経『修証義』の冒頭に、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という一節があります。これは、人生には「なぜ生きなければならいのか、なぜ死ななければならいのか」という問いがあり、その答えを性急に求めるのではなく、むしろ、その問いを持ち続けて…

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11月 14日 カレー南蛮

父親の13回忌のご法事。 当時大学生のお嬢さんも、この秋に嫁がれました。 そのお嬢さんが、実は、、、と教えてくれたお話です。     あの日のお昼。 病室ではなく共有スペースで、母と出前を取りました。 近くのお蕎麦屋さんのカレー南蛮。 食べ始めた頃。 看護師さ…

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10月 17日 徳をつらぬく

かくばかり みにくき国に なりたれば        ささげし人の ただに惜しまる   先の戦争の未亡人が詠まれた歌だそうです。     今年八月、ご縁あって知覧に行きました。長年、伺いたいと心に留めていた町です。というのも、私が生まれ育った町、山口県徳山市は回…

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3月 14日 ほどほどの饅頭

88歳のおばあちゃんが体調を崩し、入院した。 家族の祈りと治療の甲斐あって、無事に退院することができた。 おばあちゃんの好物は、甘いもの。 医師から、「これからは、できるだけ甘いものはひかえましょうね」と諭されて、「はいはい」と二つ返事。 帰りの車の中、お気に入りのお饅頭屋さんに寄ってくれ、と願うおばあちゃん。 「退院のお祝いだから、今日だけよ」と言って、立ち寄った。 久しぶりに微笑むおばあちゃんの顔を見た。 そして、、、「今日だけだから」「ひとつだけだから」と言いながら、甘いものを求める日々。 おばあちゃんの体調を気にする家族の切なる想いを、娘が伝えた。 「甘いものはひかえてとお医者さんに言われたでしょう。早く死にたいの? 今日から、家の中から甘いものを隠します」 驚いたおばあちゃんは、手を合わせながらつぶやいた。 「私は、ありがたいことに充分に生きたよ。 でも、最後は好きなものを隠されて、それを盗み食べるような人生にしたくはない。死んでから、饅頭をたくさん供えられても困ってしまう。できるだけ、みんなの手を煩わさないで逝きたいと願ってる。」 「ほどほどにしてね」と言った娘の返事に、「はいはい」と答えたおばあちゃん。 甘いもの、ほどほどに、ほどほどに。
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12月 04日

文字通りあっという間の、2年間でした。 なんで、主人だけが、あんな目にあわなくては、いけなかったのか? みんなに好かれ、優しく真面目な人だったのに、何故? 「まだ、あなたは若いし、幸いに子供もいないから・・・」 そんな理由で、やり直しが出来ると、口をそろえたようにみんなに言われてしまうのは、私に隙があるからでしょうか。 何をもってしても埋められない心の隙間 母から、「彼は旅に出たと思いなさい」と言われた時、少し心が晴れました。 旅に出たのなら、また、必ず会えるって。 ・・・私事ながら、11月24日、伯父が亡くなりました。母の兄になります。 高松市で通夜葬儀。 泊まったホテルで流しっぱなしにしたテレビ。 あるCMに、「だけれども、生きる」という一句がありました。 何のCMかは分からなかったけれども、、「だけれども、生きる」という一句に響きました。 私たちは、それぞれに多くのものを抱えながら、挫けないで、諦めないで・・・ 「だけれども、生きる」お互いでいたいものです。
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11月 25日 ありがとう

お釈迦さまがあるとき、弟子の阿難に尋ねました。 「あなたは、人間に生まれたことをどのように思っていますか?」 すかさず、阿難は応えました。「はい。とても喜んでおります」 あなたは、人間に生まれたことを喜んでいますか。 実は、ここが私たちの出発点なんです。人間に生まれたことを喜ぶ視点。 人間に生まれたことをいじけたり、恨んだりしていても、私たちの人生ははじまらない。 お釈迦さまが、また、重ねて尋ねます。「では、あなたは人間に生まれたことをどのくらい喜んでおりますか?」 すると、阿難は答えに窮してしまいます。 たしかに、人間に生まれたのは喜んではいるけれども、どのくらい喜んでいるのかと言われたら、、、考えてしまいます。 私たちの人生、一日を振り返れば、いいことばかりではない。 時には、「ああ、もう何もかも嫌になった」という日もあれば、お酒を浴びるように飲まなきゃおさまらない日もあります。 答えに窮した阿難をみて、お釈迦さまは、「盲亀浮木の譬」と伝えられている話をされました。 「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいた。 その亀は、100年に1度、海面に、ぽっと顔を出すという。 ある日、その広い海には1本の丸太棒が、波に揺られ浮いていた。 その丸太棒の真ん中には、小さな穴があいていた」 広い海、100年に一度浮かび上がる目の見えない亀、漂う小さな穴のあいた丸太棒。 ここで、お釈迦様は仰います。 「阿難よ。 100年に1度浮かびあがるその目の見えない亀が、 浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴にひょいっと頭を入れることが有ると思うか?」 阿難は驚いて答えます。 「お釈迦さま、そんなことは、とてもありえません」 すると、お釈迦様は間髪いれずに仰った。 「お前さん、絶対にない、と本当に言い切れるか?」 迷いながら、阿難は答えました。 「いえ、もしかしたら、もしかしたら、万が一、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、でも、それは、やはり、絶対にない、と言ってもいいくらいありえないと思います」 すると、お釈迦さまはこうお示しになられたというのです。 「阿難さんよ、私たちが人間に生まれることは、実はその亀が、丸太棒の穴に首を入れることよりも難しいことなんだ。 そのくらい、私たちの命が、今・ここにあるのは、有難いことなんだよ」 命の有難さを体感し、実感した言葉が、「ありがとう」 「今生きていること」、それは、とて有り難いこと。 条件なしに、有り難いこと。 だからこそ、有り難いこの命を喜ぶ、楽しむ、使う。 「私たちの命は有難いものだ」と心底思うところから伝える言葉、それが、ありがとうなのです。
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9月 13日 特効薬

母の不治の病を知り、何とか治したいと一心に祈る青年 嫁いだ娘の不貞を聞き、孫のために何とか元の鞘に収めたいと願う父親 今日15時までに支払わなければならないお金 如何ともしがたい事実を突き付けられた時 何かにすがろうとする人もいる でも、世の中、お人よしは多くない むしろ、神や仏をちらつかさせて近寄る者もいる 前世 先祖 悪業 たたり 目に見えないものを突き付けられて、結局、お金に換算 でも、、、人生に特効薬などはない 答えを出せない問いもある 答えを出してはならない問いもある 特効薬などない。抱えながら生きていく。 、、、そう決めたとき、心の変化が現実を変えてしまうこともあるのです。
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