衆生無辺誓願度 人生を長短ではなく、濃淡で汲み取る覚悟をいたします 煩悩無尽誓願断 人生を私からではなく、公や義からはじめる視点を育てます 法門無量誓願学 人生を知恵だけではなく、智慧を育てる視点を持ち続けます 仏道無上誓願成 人生を今生だけのものではなく、「ひとつながりのいのち…
お釈迦さまは、罵詈雑言をあびせたバラモンに、にこやかに問われた。
「あなたのところに、お客さんが来て、あなたがに食べ物を出したとしよう。
でも、そのお客さんがその食べ物を受け取らなければ、その食べ物は誰のものになるだろうか」
間髪をいれず、バラモンは応えた。
「もちろん、その食べ物は私のものだ」
その答えをまって、お釈迦さまは続けられた。
「では、バラモンよ、私はあなたの言葉を受け取らない。
だから、その悪口はあなた自身のものだ」
ここで、気づいたバラモンは偉かった。
100点満点の人生など、ない。
あの人の一言。
匿名の書き込み。
何も言い返せなくても、自分を保つことができるだろうか。
何か言い返さなくても、心を乱さないでいられるだろうか。
「智恵ある者に怒りなし。よし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かものの仕業なり。」
多忙のため 全く 自分の時間がありません
多用のため 全く 自分の時間が持てません
でも イライラせず 投げ出さず
そんな昨今、ふと浮かんだ言葉
随処作主 立処皆真
<ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり>
随所に主となるとは、「俺が」「私が」と主役を張ることではないのです
お客様に主役を任せてもいい
連れ合いに主人公を委ねてもいい
随処作主 とは、「ひとつながりのいのち」あることを知って、全てを楽しむこと
そうすれば、おのずから、立処皆真
つまり、「いま・ここ」が宝の山
6月 07日 身
百計千方、只だ身の為にす
知らず、身は是れ塚中の塵なることを
言うこと莫れ、白髪に言語無しと
此れは是れ、黄泉伝語の人 香厳智閑禅師
日々の多くのはかりごとは、ただ我が身のため
やがて必ず、この身は墓場の土となることに思い至らない
老いた姿の自分を想像してごらん
先に逝った人が教えてくれてるよ
もしも、あの時、あの言葉を言っていれば
もう少し、ましな男になれただろうか
もしも、あの時、深く考えていれば
もう少し、まともな人生を送れただろうか
自分で自分のことがわからなくなったり
身の回りの世話をしていただくことになったりした時
私は・・・優しく、楽しく、明るい自分でいられるだろうか
日々の多くのはかりごとを 少し 我が身のために使わないこと
そこに答えがある
5月 26日 汝
5月18日より23日まで、中国の杭州を旅しました。
そのなかで、この一語と出会うことができました。
大衆慧命在汝一人 汝若不顧罪帰自身
これは、天童寺と径山寺の禅堂のなかにありました。
小さな木片に認められ、その前に小さなお香立てがありました。
汝とは、そう、私自身です。
「お前さんとご縁ある方々の仏縁は、実は、お前さん次第なんだよ。お前さんの在りようが問われているのだよ。」
この一語に触れた時、警策で肩を打たれたような想いをいたしました。
徳を積むとは、己の行為を貯金通帳に入れていくことではありません。
徳を積むとは、いい事をすれば、いい事があるという下心のことではありません。
徳を積むとは、感謝し、そして、壊さないよう、こぼさないようにすること。
今、あなたが生きていることへの感謝を態度で現わすことが、徳を積むことなのです。
1月 14日 生きる
親の死とは、あなたの過去を失うこと。 配偶者の死とは、 あなたの現在を失うこと。 子どもの死とは、あなたの未来を失うこと。 友人の死とは、あなたの人生の一部を失うこと。 『愛する人を亡くした時』 グロールマン 7年にわたる不妊治療 やっと授かった子宝 その子の性別を知り 二人で名…
12月 31日 老い
「私はもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。
譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ」 『ブッダ最後の旅』
白い頭 遠くなった耳 若くない身体
私を育ててくれた元気な頃の親の今の姿
改めて思う
自らの命を削って 我が子を育てたのだ、と
生意気な学生の頃
親を鬱陶しいと想った自分がいた
自らの人生の折り返し地点を過ぎた今
悔悟と時間の優しさを痛切に感じる
懐かしく暖かな日々
穏やかで緩やかな時
宝物のような故郷
9月 06日 木版
私が修行した道場では、夜の坐禅の終わりに、木版が鳴りました。
古参の僧が木版を打ちながら、「生死事大 無常迅速 各宣醒覚 慎莫放逸」と、禅堂に坐る者たちに低い声で朗々と告げます。
静寂の中、木版を叩く音が身体に染み込み、その声が身体に響き渡ります。
生死は事大にして、無常は迅速なり
各々宜しく醒覚すべし 慎んで放逸すること莫れ
一日が過ぎるのは早いから気をつけなさい、という警告ではありません。
時間が私たちの上を走り去っているのではないのです。
そう、私たち自身が過ぎ去っている。
だからこそ、この人生を放逸に過ごしてはならないのです。
あんなに暑かった夏も終わりました。
私たちの夏も過ぎ去りました。
人生を愛おしむ互いでありたいと願います。
諸悪莫作とねがひ、諸悪莫作とおこなひもてゆく。
諸悪すでにつくられずなりゆくところに、修行力たちまちに現ず。
『正法眼蔵』「諸悪莫作」
「悪い事をするなよ」と教えられ、学ぶなかから、やがて、「悪い事を行わない」という心が育つ。
その心とそれを支える出来事や周囲の心があいまって、「悪いことをしようとしても、悪いことをすることができない」という自分が現れる。
私たちの心は育ち、深めることができる。
だから、学ぶこと、即ち、学ぶために師を持つことがとても大切なのです。