大童法慧 | 禅語・仏教語・言の葉
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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2月 11日 一得一失

このブログがご縁となり、新たなご縁をいただきました。 葬儀や法事の相談を受けたり、また、法話の依頼をいただいたりするようになりました。 こんなブログでも、多い日には、300を超えるアクセスがあります。 こんな内容でも、支持するコメントを頂き、励まされております。 正直な話、恥ずか…

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2月 04日 不立文字

不立文字 教外別伝 直指人心 見性成仏 これは,達磨大師の言葉と伝えられています。 不立文字<ふりゅうもんじ>とは、 禅は、文字や言語では現す事ができない。 坐禅をする体験によってのみ、体得できるものである。 教外別伝<きょうげべつでん>とは、 文字言説による教説の外に、心から心に禅の真髄を伝えてきた事。 以心伝心と同義。 直指人心<じきしにんしん>とは、 外にばかり目を向けず自分の心をよく見つめなさいという事。 思考や分析をいくら重ねても、自分の心をつかめるものではない。 見性成仏<けんしょうじょうぶつ>とは、 自分の本性をよく見つめれば、仏性に出会い、見<まみ>え、自分が自分になることができる事。 川崎いのちの電話公開講座 養老孟司氏講演会『死の壁をこえる』が、昨日、開催されました。 その要旨。 人には、本来、感覚の世界と概念(意識)の世界がある。 感覚の世界とは、違いの世界であり、 概念の世界とは、同じの世界である。 現代人は、概念の世界にのみに価値を認めようとする。 概念の根会とは、言葉の世界。言葉は、人や社会を均一化してしまう。 しかし、頭で考える事に、どれだけの意味があると言うのか? 概念の世界のみを相手にする事で、結局は、その概念に殺されてしまう。 大切な事は、感覚を開く事。 感覚には、周りの世界を見る働きと自分の体を知る働きがある。 言葉や文字、つまり、概念で坐禅を理解しても、それは、理解でしかない。 大切な事、それは、坐る事。 禅の坊主にとっての感覚とは、坐禅。
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2月 01日 言の葉 〔5〕

【原文】 縦読恒沙書、不如持一句。 有人若相問、如実知自心。 良寛 【読み下し】 縦へ恒沙の書を読むとも、一句を持するに如かず。 人有り若し相問はば、如実に自の心を知れ。 【補足】 数巻の書物をよんでも、心得が違うと、野郎の本箱字引になるから、ここを間違わぬようにすべし。 勝 小…

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1月 29日 脚下照顧

禅門の多くのお寺の玄関には、脚下照顧と書かれた物があります。 脚下照顧とは、足元を看よ、との意。 徒に、外に向かって、真理とか、真実とかを求めるのではなく・・・ その、あなたの、そのお足元。 そう、そこに。 いま、ここに。 宝の山がありますよ、との教え。 足元を看る。 その足元とは、あなた自身のお足元。 他人の足元ばかり、見てては、だめですよね。
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1月 22日 言の葉 〔4〕

淡雪の 中にたちたる 三千大千世界 またその中に 沫雪ぞ降る 良寛 三千大千世界とは、仏教の宇宙観です。 須弥山を中心とした小世界を千倍したものを小千世界、それを千倍したものを中千世界、さらにそれを千倍にしたものを三千大千世界という。つまり、この世界には合計で1000×1000×1000=10億の世界があると説かれてあります。 今、私たちの生きているこの世は、目には見えないけれども、実は、とても広く、とても深く、そして、とても大きな世界なのです。 地球上の、日本の、神奈川県の、川崎市の、溝の口の、某所にいるけれども、その命は、三千大千世界を生きているのです。 現実の、溝の口での、せこせこした生活のみが、全てのような気がするかもしれないけれども、実は、この一挙手一投足が、この一呼吸が、三千大千世界と繋がっている。 せこせこした暮らしの、せこせこした命のみに執着するのではなく、 大きな大きな命を自覚しながら、こころゆたかに人としての生を生きる。 雪が、ひらひらと舞う。 その一片、その一片に。 三千大千世界がある。 その三千大千世界の中にも、また、雪が、ひらひらと舞っている。 その雪を 拝まないでいられない 良寛さん。 真実は、日々のこの暮らしの中にこそある。 気付くか、気付かぬか。 気付くか、気付けぬか。 真実は、遥か彼方にあるのではなく、いま・ここにある。
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12月 09日 言の葉  〔1〕

我に似たれば 非をも是と為し 我に異なれば 是をも非と為し 是非は始めより己にあり 道は其れ是くの如くにならず 良寛 ・・・他人のせいにしていないか。 ・・・己を高しとしていないだろうか。     MEMO 夫れ人の世に在るは、 草木の参差たるが如し、 共に一…

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12月 06日 臘八接心・成道会

臘八接心<ろうはつせっしん、と読みます。> 成道会<じょうどうえ、と読みます。> 臘月とは、師走のこと。 臘八とは12月8日のこと。 禅の修行道場では、12月1日から8日朝までを一日とみなし、不眠不休の坐禅を行ないます。これを臘八接心といいます。 これは、お釈迦様が長い苦行の末、菩提樹下で数日間、昼夜を問わず坐禅され、12月8日朝の暁けの明星をご覧になって成道されたことにならって行なうものです。 12月8日には、「出山の釈迦」を本堂にお奉りし、お釈迦様の成道を記念した成道会という報恩の法要をお勤めします。 クリスマスもいいけれど、 お近くのお寺の成道会にお参りになってはいかがでしょうか。
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11月 19日 祥月命日

祥月とは、亡くなった月の事。 命日とは、亡くなった日の事。 祥月命日は、年に一度の大切な日。 亡くなった日を、西洋では、死亡日や追憶の日と言う。 しかし、仏教では、命日。 その人の命の日として受け止める。 その日まで頑張って生きてきたのだ、と受け止める。 友亡きを 友として飲む 酒やよし
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