大童法慧 | 禅語・仏教語・言の葉
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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9月 28日 四弘誓願文 私訳

衆生無辺誓願度 人生を長短ではなく、濃淡で汲み取る覚悟をいたします 煩悩無尽誓願断 人生を私からではなく、公や義からはじめる視点を育てます 法門無量誓願学 人生を知恵だけではなく、智慧を育てる視点を持ち続けます 仏道無上誓願成 人生を今生だけのものではなく、「ひとつながりのいのち…

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8月 26日 売り言葉に買い言葉

お釈迦さまは、罵詈雑言をあびせたバラモンに、にこやかに問われた。 「あなたのところに、お客さんが来て、あなたがに食べ物を出したとしよう。 でも、そのお客さんがその食べ物を受け取らなければ、その食べ物は誰のものになるだろうか」 間髪をいれず、バラモンは応えた。 「もちろん、その食べ物は私のものだ」 その答えをまって、お釈迦さまは続けられた。 「では、バラモンよ、私はあなたの言葉を受け取らない。 だから、その悪口はあなた自身のものだ」 ここで、気づいたバラモンは偉かった。 100点満点の人生など、ない。 あの人の一言。 匿名の書き込み。 何も言い返せなくても、自分を保つことができるだろうか。 何か言い返さなくても、心を乱さないでいられるだろうか。 「智恵ある者に怒りなし。よし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。 怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かものの仕業なり。」
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7月 15日 随処作主

多忙のため 全く 自分の時間がありません 多用のため 全く 自分の時間が持てません でも イライラせず 投げ出さず そんな昨今、ふと浮かんだ言葉 随処作主 立処皆真 <ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり> 随所に主となるとは、「俺が」「私が」と主役を張ることではないのです お客様に主役を任せてもいい 連れ合いに主人公を委ねてもいい 随処作主 とは、「ひとつながりのいのち」あることを知って、全てを楽しむこと そうすれば、おのずから、立処皆真 つまり、「いま・ここ」が宝の山
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6月 07日

百計千方、只だ身の為にす 知らず、身は是れ塚中の塵なることを 言うこと莫れ、白髪に言語無しと 此れは是れ、黄泉伝語の人   香厳智閑禅師   日々の多くのはかりごとは、ただ我が身のため やがて必ず、この身は墓場の土となることに思い至らない 老いた姿の自分を想像してごらん 先に逝った人が教えてくれてるよ もしも、あの時、あの言葉を言っていれば もう少し、ましな男になれただろうか もしも、あの時、深く考えていれば もう少し、まともな人生を送れただろうか 自分で自分のことがわからなくなったり 身の回りの世話をしていただくことになったりした時 私は・・・優しく、楽しく、明るい自分でいられるだろうか 日々の多くのはかりごとを 少し 我が身のために使わないこと そこに答えがある
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5月 26日

5月18日より23日まで、中国の杭州を旅しました。 そのなかで、この一語と出会うことができました。 大衆慧命在汝一人 汝若不顧罪帰自身 これは、天童寺と径山寺の禅堂のなかにありました。 小さな木片に認められ、その前に小さなお香立てがありました。 汝とは、そう、私自身です。 「お前さんとご縁ある方々の仏縁は、実は、お前さん次第なんだよ。お前さんの在りようが問われているのだよ。」 この一語に触れた時、警策で肩を打たれたような想いをいたしました。
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4月 19日 徳を積む

徳を積むとは、己の行為を貯金通帳に入れていくことではありません。 徳を積むとは、いい事をすれば、いい事があるという下心のことではありません。 徳を積むとは、感謝し、そして、壊さないよう、こぼさないようにすること。 今、あなたが生きていることへの感謝を態度で現わすことが、徳を積むことなのです。
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1月 14日 生きる

親の死とは、あなたの過去を失うこと。 配偶者の死とは、 あなたの現在を失うこと。 子どもの死とは、あなたの未来を失うこと。 友人の死とは、あなたの人生の一部を失うこと。 『愛する人を亡くした時』 グロールマン 7年にわたる不妊治療 やっと授かった子宝 その子の性別を知り 二人で名…

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12月 31日 老い

「私はもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。 譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ」   『ブッダ最後の旅』 白い頭 遠くなった耳 若くない身体 私を育ててくれた元気な頃の親の今の姿 改めて思う 自らの命を削って 我が子を育てたのだ、と 生意気な学生の頃 親を鬱陶しいと想った自分がいた 自らの人生の折り返し地点を過ぎた今 悔悟と時間の優しさを痛切に感じる 懐かしく暖かな日々 穏やかで緩やかな時 宝物のような故郷
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9月 06日 木版

私が修行した道場では、夜の坐禅の終わりに、木版が鳴りました。 古参の僧が木版を打ちながら、「生死事大 無常迅速 各宣醒覚 慎莫放逸」と、禅堂に坐る者たちに低い声で朗々と告げます。 静寂の中、木版を叩く音が身体に染み込み、その声が身体に響き渡ります。 生死は事大にして、無常は迅速なり 各々宜しく醒覚すべし 慎んで放逸すること莫れ 一日が過ぎるのは早いから気をつけなさい、という警告ではありません。 時間が私たちの上を走り去っているのではないのです。 そう、私たち自身が過ぎ去っている。 だからこそ、この人生を放逸に過ごしてはならないのです。 あんなに暑かった夏も終わりました。 私たちの夏も過ぎ去りました。 人生を愛おしむ互いでありたいと願います。
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6月 18日 諸悪莫作

諸悪莫作とねがひ、諸悪莫作とおこなひもてゆく。 諸悪すでにつくられずなりゆくところに、修行力たちまちに現ず。 『正法眼蔵』「諸悪莫作」 「悪い事をするなよ」と教えられ、学ぶなかから、やがて、「悪い事を行わない」という心が育つ。 その心とそれを支える出来事や周囲の心があいまって、「悪いことをしようとしても、悪いことをすることができない」という自分が現れる。 私たちの心は育ち、深めることができる。 だから、学ぶこと、即ち、学ぶために師を持つことがとても大切なのです。
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