大童法慧 | 客
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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6月 15日

 

現今は、「お客様は神様だ」と客が主張する時代です。
「金を払ってやっているのは俺だぞ」、と。

 

 

此世の人、客に来たとおもへは、苦労もなし。心に叶ひたる食事にむかひては、よき馳走におもひ、心に叶わず時も、客なれは、ほめて喰わねはならす。夏の暑さをもこらへ,冬の寒さも、客なれは、こらへねはならす。孫子兄弟も相客と思へは、中よくくらして、あとに心を残さす、御いとま可申候。かしく。沢庵禅師『結縄集』

 

 


2 個のコメントがあります
  • 東條文英
    Posted at 09:44h, 20 6月 返信

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    • 大童法慧
      Posted at 23:38h, 08 7月 返信

      東條文英様  神という言葉に安堵を感じ取るとは素敵ですね。
      その一方で、神という言葉を「なんでも自分の思い通りにできる」と受け取る人もいらっしゃるようですね。

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