大童法慧 | 法話
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
15649
paged,page-template,page-template-blog-large-image,page-template-blog-large-image-php,page,page-id-15649,page-child,parent-pageid-15636,paged-16,page-paged-16,ajax_fade,page_not_loaded,,vertical_menu_enabled,side_area_uncovered_from_content,qode-child-theme-ver-1.0.0,qode-theme-ver-7.2,wpb-js-composer js-comp-ver-5.0.1,vc_responsive
 



11月 12日 本田美奈子.さんの事

本田美奈子.さんの葬儀・告別式が9日に行われました。 多くの方が、その死を悼み、その不条理さに涙しました。 また、その才能を惜しみ、その人柄を偲ばれたようです。 38歳はあまりにも早い・・・と。 ファンの方の中に、こう、コメントしていた人がいました。 「思い出をありがとう。あなたの事を絶対に忘れない。天国でも大好きな歌を歌ってください。」 突然の訃報に驚いての発言なのでしょう。 でも、これで終わりとするでしょうか? これで、この事を片付けてしまうのでしょうか? もっと、感じ取らなければならない事が、学ばねばならない事が、そして、気付かなければならない事があると思うのです。 人の命は、息を引き取れば終わりです。 つまり、この呼吸が止まれば、終わりなのです。 そして、この呼吸の保証はどこにもありません。 本来、人の命は、それほど、儚いものなのです。 だからこそ、この今が尊いのです。 この命を、この今を、私たちは生きている。 まず、この事を真摯に受け止めなければならないと思うのです。 そして、簡単に、「天国に行った」と言ってもいいのでしょうか? 何某かの信仰を持ったうえでの「天国に行った」は結構でしょう。 しかし、ただ、「天国に行った」と言うのは、思考の放棄です。 じゃあ、どこにいったのか? この問いを発する感性こそが、大切だと思います。 そして、その答えは、思索の遊戯に陥らないという信念の下に、自ずから導かれてくるはずです。 人の命は、確かに、儚いものだけれども、 本当は・・・ 私たちは、一回こっきりの、小さな命を生きているのではない。 大きな、大きな、ひとつの命を生きている。 心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
続きを読む


11月 07日 ご指摘  〔2〕

私は今まで何回も法事に出かけていますが、有難い法話・・・・一度も聞いた事がありません。 普通はお経の後ご住職様は法話をしていただけるのですか? それは、お願いしないといけないのですか? と、コメントを頂きました。 お通夜やご葬儀、そして、ご法事。 お話しなければならない事が、たく…

続きを読む


11月 05日 大法重きが故に

これは、岩手県の匿名希望さんからのお手紙です。 お祖父様の7回忌のご法事に、若い副住職さんがいらっしゃいました。 お経が終わり、知人の方々が故人との思い出話などをして、さて、副住職さまからのご法話となりました。 おもむろに、副住職さまが話をされます。 「エー、私からの法話ですが、…

続きを読む


10月 21日 別れの意味 〔2〕

たとえ、志半ばで倒れたとしても。 たとえ、物心つくまえであったとしても。 たとえ、百まで生きられたとしても。 必ず、死は訪れます。 いや、既に、生の中に死は含まれている。 じゃあ、どうせ死ぬのなら、早く死じまえ。 じゃあ、どうせ1回こっきり命だから、好きにするさ。 これじゃあ、幼…

続きを読む


10月 19日 風と落ち葉

出家して間もない頃の秋の黄昏時でした。 あるお寺の前で托鉢をしていた時、ふと、目に留まった伝道掲示板に、良寛さんの詩が書いてありました。 焚くほどは  風が持てくる  落ち葉かな これを見たとき、なんとも言いようのない感動と深い喜びを得ました。 なんだ、これで良かったんだ、と。 …

続きを読む


10月 15日 別れの意味 〔1〕

ある程度、年をとってくると、慶びごとに出かけるよりも、 むしろ、お悔やみを申し上げに行く事の方が、多くなります。 このたびは、誠にご愁傷様でした。 突然の事で、驚きました。 本当に、残念でした。 これらの言葉を、ご遺族に伝える前に、少し、思いを巡らせて欲しい。 故人のおかげで、今…

続きを読む


10月 14日 伝道掲示板  〔1〕

今月のお寺の伝道掲示板。 過去が咲いている今。 未来の蕾でいっぱいの今。 河井寛次郎 この今に、これまでの自分の全てが含まれています。 あの時の選択や決断、あの時の出会い。 悲しさに泣いた夜、名状し難い恐怖感。 訪れた歓喜、深く結ばれた共感。 そのどのひとつを欠いても、今の自分はないのです。 この今に、これからの自分の全てが含まれてます。 人生には偶然はありません。 全てが必然なのです。 このことを、因果必然、因果不昧といいます。 種のないところに花は咲きません。 今を大切にすると言う事は、自分の過去を素直に受け入れ、そして、自分の種を愛し、自分を取り巻くこの世界を愛する事だと思うのです。
続きを読む


10月 03日 ひとりじゃない

この原稿は、大本山永平寺にて修行中に電話説法の原稿として、某老師にお渡ししたものです。 大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件の直後に、書いたものです。 児童八人を殺害、教師を含む十五人に重軽傷を負わせたとして殺人などの罪に問われた宅間守死刑囚の死刑が、昨年9月に執行されました。…

続きを読む


10月 01日 転ばぬ先の杖

ふだん,杖をお使いの方はいらっしゃるでしょうか? これから、私が話す杖は、お年寄りの方が道を歩く時に使用する杖のことではありません。世の中を歩く、人生を支える杖のことです。 若い方にも持てる、いや、若い方にこそ持っていただきたい杖の話です。 この杖の事をわかりやすく言えば、人生観…

続きを読む


9月 29日 苦しきこと

世の中の 苦しきことを 人問わば 人をへだつる 心と答えよ 見知らぬ人が、ただそこに居たという理由だけで、陵辱されたり殺されたりというニュースを見聞きしますと、修羅の世界だなと感じます。 修羅とは、奪い合う世界のこと。 親が子を虐待し、子が親を殺めるというニュースさえも、今では、…

続きを読む