11月 03日 円成
両本山での瑞世、無事に円成いたしました。 円成<えんじょう、と読みます>。 円成とは物事の完成、まどかになる事。円満成就の意です。 その時々において、その折々にふれて、 それが、大きな円であったり、また、小さな円であったり。 ひとつひとつが、まどかなる世界。
本日より、大本山永平寺に瑞世に行きます。
途中、吉峰寺<きっぽう寺と読みます>に拝宿し、永平寺へ。
そして、得度をしたお寺に、お礼の拝登。帰りは、11月1日の予定。
コメントに、瑞世とは何?とありました。説明不足でしたね。
一朝<いっちょうと読みます>の住職。
つまり、両本山において、文字通り、その日の朝のお勤めの導師を務めることです。
曹洞宗では、和尚になるために、いくつかの段階を踏まなければなりません。この段階とは資格とも、ステップアップとも言い換えられるでしょう。
得度<とくど>をする。これは、出家する事。
安居<あんご>をする。これは、専門僧堂において修行をする事。
首座<しゅそ>をする。これは、他の修行僧の先頭に立ち修行する事。
法戦<ほっせん>をする。これは、首座が他の修行僧と問答する事。
嗣法<しほう>をする。これは、師僧より法を嗣ぐ事。
大まかにあげれば、以上ですが、これらを踏まえた上で、瑞世となります。いわば、一人前になるための仕上げの行となります。
もちろん、修行に終わりはありませんが。
曹洞宗を開かれた道元禅師、それを広めた瑩山禅師。
永平寺は道元禅師、総持寺は瑩山禅師が開かれた寺院です。
その両大本山で導師を務めるのは、多くの僧侶にとって一生に一度のことです。瑞世は、曹洞宗僧侶としての報恩の誓いの場となります。
曹洞宗においては、本山がふたつあります。 福井県の大本山永平寺と神奈川県の大本山総持寺。 曹洞宗の僧侶は、この両本山に、それぞれ一泊し、一朝の住職を務める瑞世<ずいせ、と読みます>を行じます。 私は先週末に、大本山総持寺において瑞世をし、今週末に大本山永平寺で瑞世します。 曹洞宗…
投稿日時 10:18
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僧侶的 いま・ここ,
法話
by houe_admin
たとえ、志半ばで倒れたとしても。 たとえ、物心つくまえであったとしても。 たとえ、百まで生きられたとしても。 必ず、死は訪れます。 いや、既に、生の中に死は含まれている。 じゃあ、どうせ死ぬのなら、早く死じまえ。 じゃあ、どうせ1回こっきり命だから、好きにするさ。 これじゃあ、幼…
投稿日時 17:54
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僧侶的 いま・ここ,
法話
by houe_admin
出家して間もない頃の秋の黄昏時でした。 あるお寺の前で托鉢をしていた時、ふと、目に留まった伝道掲示板に、良寛さんの詩が書いてありました。 焚くほどは 風が持てくる 落ち葉かな これを見たとき、なんとも言いようのない感動と深い喜びを得ました。 なんだ、これで良かったんだ、と。 …
投稿日時 21:02
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僧侶的 いま・ここ,
法話
by houe_admin
ある程度、年をとってくると、慶びごとに出かけるよりも、 むしろ、お悔やみを申し上げに行く事の方が、多くなります。 このたびは、誠にご愁傷様でした。 突然の事で、驚きました。 本当に、残念でした。 これらの言葉を、ご遺族に伝える前に、少し、思いを巡らせて欲しい。 故人のおかげで、今…
投稿日時 10:46
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法話
by houe_admin
今月のお寺の伝道掲示板。
過去が咲いている今。
未来の蕾でいっぱいの今。
河井寛次郎
この今に、これまでの自分の全てが含まれています。
あの時の選択や決断、あの時の出会い。
悲しさに泣いた夜、名状し難い恐怖感。
訪れた歓喜、深く結ばれた共感。
そのどのひとつを欠いても、今の自分はないのです。
この今に、これからの自分の全てが含まれてます。
人生には偶然はありません。
全てが必然なのです。
このことを、因果必然、因果不昧といいます。
種のないところに花は咲きません。
今を大切にすると言う事は、自分の過去を素直に受け入れ、そして、自分の種を愛し、自分を取り巻くこの世界を愛する事だと思うのです。
10月 11日 喪失感
別れの喪失感、特に、死ぬ事での別れは、何をもってしても、それを埋め合わす事は困難なことだ、と思うのです。 たとえ、世界中のお花を買い占めて、祭壇を飾ったとしても。 たとえ、世界中の線香を買い占めて、故人に手向けたとしても。 たとえ、何百人の僧侶を呼んで、葬儀を執り行ったとしても。…
本日、19時からお通夜です。 明日、13時よりご葬儀。 故人は、45歳の男性。 奥様が喪主となります。 中学生と高校生のお子さん二人がいます。 昨今、葬儀社のHPに、【感動のご葬儀を提供】とありますが、 一体、何を感動させるのでしょうか? 教えていただきたい。 死は、不条理なもの…
はじめてのご法事のこと、今でも、覚えてます。 得度して半年が過ぎた頃、老師よりお檀家さんの自宅に行き7回忌を勤めてくるよう、命じられました。 それまで何度か、老師や兄弟子についてお勤めをし、法事の順序次第やその心得も理解しておりました。 因みに、私は27歳の時に得度しました。 頭…