投稿日時 21:02
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僧侶的 いま・ここ,
法話
by 大童法慧
二宮尊徳は『二宮翁夜話』に「神道は開国の道なり。儒教は治国の道なり。仏教は治心の道なり」と記した。このシンクレティズムの様相を彼は「神儒仏正味一粒丸」と表現した。それは、神道・儒教・仏教のいいところが対立することなく混ぜ合わせたものであり、日本人が育ててきた宗教性を象徴した言葉で…
4月 29日 その時
投稿日時 05:34
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法話
by 大童法慧
曹洞宗で用いられるお経『修証義』の冒頭に、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という一節があります。これは、人生には「なぜ生きなければならいのか、なぜ死ななければならいのか」という問いがあり、その答えを性急に求めるのではなく、むしろ、その問いを持ち続けて…
投稿日時 20:31
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法話
by 大童法慧
父親の13回忌のご法事。 当時大学生のお嬢さんも、この秋に嫁がれました。 そのお嬢さんが、実は、、、と教えてくれたお話です。 あの日のお昼。 病室ではなく共有スペースで、母と出前を取りました。 近くのお蕎麦屋さんのカレー南蛮。 食べ始めた頃。 看護師さ…
投稿日時 17:32
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法話
by 大童法慧
かくばかり みにくき国に なりたれば ささげし人の ただに惜しまる 先の戦争の未亡人が詠まれた歌だそうです。 今年八月、ご縁あって知覧に行きました。長年、伺いたいと心に留めていた町です。というのも、私が生まれ育った町、山口県徳山市は回…
投稿日時 07:59
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法話
by houe_admin
88歳のおばあちゃんが体調を崩し、入院した。
家族の祈りと治療の甲斐あって、無事に退院することができた。
おばあちゃんの好物は、甘いもの。
医師から、「これからは、できるだけ甘いものはひかえましょうね」と諭されて、「はいはい」と二つ返事。
帰りの車の中、お気に入りのお饅頭屋さんに寄ってくれ、と願うおばあちゃん。
「退院のお祝いだから、今日だけよ」と言って、立ち寄った。
久しぶりに微笑むおばあちゃんの顔を見た。
そして、、、「今日だけだから」「ひとつだけだから」と言いながら、甘いものを求める日々。
おばあちゃんの体調を気にする家族の切なる想いを、娘が伝えた。
「甘いものはひかえてとお医者さんに言われたでしょう。早く死にたいの?
今日から、家の中から甘いものを隠します」
驚いたおばあちゃんは、手を合わせながらつぶやいた。
「私は、ありがたいことに充分に生きたよ。
でも、最後は好きなものを隠されて、それを盗み食べるような人生にしたくはない。死んでから、饅頭をたくさん供えられても困ってしまう。できるだけ、みんなの手を煩わさないで逝きたいと願ってる。」
「ほどほどにしてね」と言った娘の返事に、「はいはい」と答えたおばあちゃん。
甘いもの、ほどほどに、ほどほどに。
12月 04日 旅
投稿日時 16:23
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法話
by houe_admin
文字通りあっという間の、2年間でした。
なんで、主人だけが、あんな目にあわなくては、いけなかったのか?
みんなに好かれ、優しく真面目な人だったのに、何故?
「まだ、あなたは若いし、幸いに子供もいないから・・・」
そんな理由で、やり直しが出来ると、口をそろえたようにみんなに言われてしまうのは、私に隙があるからでしょうか。
何をもってしても埋められない心の隙間
母から、「彼は旅に出たと思いなさい」と言われた時、少し心が晴れました。
旅に出たのなら、また、必ず会えるって。
・・・私事ながら、11月24日、伯父が亡くなりました。母の兄になります。
高松市で通夜葬儀。
泊まったホテルで流しっぱなしにしたテレビ。
あるCMに、「だけれども、生きる」という一句がありました。
何のCMかは分からなかったけれども、、「だけれども、生きる」という一句に響きました。
私たちは、それぞれに多くのものを抱えながら、挫けないで、諦めないで・・・
「だけれども、生きる」お互いでいたいものです。
投稿日時 12:05
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法話
by houe_admin
お釈迦さまがあるとき、弟子の阿難に尋ねました。
「あなたは、人間に生まれたことをどのように思っていますか?」
すかさず、阿難は応えました。「はい。とても喜んでおります」
あなたは、人間に生まれたことを喜んでいますか。
実は、ここが私たちの出発点なんです。人間に生まれたことを喜ぶ視点。
人間に生まれたことをいじけたり、恨んだりしていても、私たちの人生ははじまらない。
お釈迦さまが、また、重ねて尋ねます。「では、あなたは人間に生まれたことをどのくらい喜んでおりますか?」
すると、阿難は答えに窮してしまいます。
たしかに、人間に生まれたのは喜んではいるけれども、どのくらい喜んでいるのかと言われたら、、、考えてしまいます。
私たちの人生、一日を振り返れば、いいことばかりではない。
時には、「ああ、もう何もかも嫌になった」という日もあれば、お酒を浴びるように飲まなきゃおさまらない日もあります。
答えに窮した阿難をみて、お釈迦さまは、「盲亀浮木の譬」と伝えられている話をされました。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいた。
その亀は、100年に1度、海面に、ぽっと顔を出すという。
ある日、その広い海には1本の丸太棒が、波に揺られ浮いていた。
その丸太棒の真ん中には、小さな穴があいていた」
広い海、100年に一度浮かび上がる目の見えない亀、漂う小さな穴のあいた丸太棒。
ここで、お釈迦様は仰います。
「阿難よ。 100年に1度浮かびあがるその目の見えない亀が、 浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴にひょいっと頭を入れることが有ると思うか?」
阿難は驚いて答えます。
「お釈迦さま、そんなことは、とてもありえません」
すると、お釈迦様は間髪いれずに仰った。
「お前さん、絶対にない、と本当に言い切れるか?」
迷いながら、阿難は答えました。
「いえ、もしかしたら、もしかしたら、万が一、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、でも、それは、やはり、絶対にない、と言ってもいいくらいありえないと思います」
すると、お釈迦さまはこうお示しになられたというのです。
「阿難さんよ、私たちが人間に生まれることは、実はその亀が、丸太棒の穴に首を入れることよりも難しいことなんだ。
そのくらい、私たちの命が、今・ここにあるのは、有難いことなんだよ」
命の有難さを体感し、実感した言葉が、「ありがとう」
「今生きていること」、それは、とて有り難いこと。
条件なしに、有り難いこと。
だからこそ、有り難いこの命を喜ぶ、楽しむ、使う。
「私たちの命は有難いものだ」と心底思うところから伝える言葉、それが、ありがとうなのです。
9月 13日 特効薬
投稿日時 07:24
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法話
by houe_admin
母の不治の病を知り、何とか治したいと一心に祈る青年
嫁いだ娘の不貞を聞き、孫のために何とか元の鞘に収めたいと願う父親
今日15時までに支払わなければならないお金
如何ともしがたい事実を突き付けられた時
何かにすがろうとする人もいる
でも、世の中、お人よしは多くない
むしろ、神や仏をちらつかさせて近寄る者もいる
前世 先祖 悪業 たたり
目に見えないものを突き付けられて、結局、お金に換算
でも、、、人生に特効薬などはない
答えを出せない問いもある
答えを出してはならない問いもある
特効薬などない。抱えながら生きていく。
、、、そう決めたとき、心の変化が現実を変えてしまうこともあるのです。
3月 31日 親
投稿日時 14:18
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by houe_admin
40歳も半ばを過ぎると、友人からの結婚式の招待状はほとんど届かなくなります。 たまに二度目や三度目の案内を受け取ることもありますが、祝い事へのお呼ばれよりも、喪服を着る機会の方が増えてくるものです。 そして現実に、親の介護や親の葬儀というものに直面する世代となります。 「親孝行、…
投稿日時 13:58
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法話
by houe_admin
手にした物の数を競う人生。
人を二つの種類に分ける世の中。
悲しい哉、私たちには、物事に善悪や優劣の評価を自分の感覚のみで行い、それを絶対の価値観として生きている面があります。
そして、他者との比較の中で、自分を確認し、強く見せたり、賢く見せたり、威張ったり、怒鳴ったり・・・
あいつは金持ちだけど、俺の方が頭はいい。
あの人はもてるけれど、私の方が心はきれい。
そんな言い訳を作り出し、自らを慰める。
でも、比べる事により満足や喜びを得ようというのだけれども、満ち足りる事は、おそらく、ないでしょう。
自慢されると、鼻につく。
高慢な態度には、反発する。
わかっちゃいるけど、やめられない。
比べる心は、煩悩のひとつ。
1.高慢 自分の方が上だ
2.過慢 同上とほぼ同義
3.慢過慢 相手が上であっても同等だと思う
4.我慢 自分の考えは変わらないという思いあがり
5.増上慢 悟った、極意を得たという思い上がり
6.卑下慢 劣等感に落ち込む
7.邪慢 自分には徳があると思いこむ
野放図な煩悩は、やがて、悲劇を産む。
責任の裏付けのない権利。
こらえ性のない、傍若無人の態度を、力だと信じる短絡的な輩。
法に触れなければ何をしても良いという考え。
いくら、口を尖らせ、眉を吊り上げ、恫喝したとしても・・・それは、戯言にすぎない。
比べる心を手放そう。