お釈迦さまは、罵詈雑言をあびせたバラモンに、にこやかに問われた。
「あなたのところに、お客さんが来て、あなたがに食べ物を出したとしよう。
でも、そのお客さんがその食べ物を受け取らなければ、その食べ物は誰のものになるだろうか」
間髪をいれず、バラモンは応えた。
「もちろん、その食べ物は私のものだ」
その答えをまって、お釈迦さまは続けられた。
「では、バラモンよ、私はあなたの言葉を受け取らない。
だから、その悪口はあなた自身のものだ」
ここで、気づいたバラモンは偉かった。
100点満点の人生など、ない。
あの人の一言。
匿名の書き込み。
何も言い返せなくても、自分を保つことができるだろうか。
何か言い返さなくても、心を乱さないでいられるだろうか。
「智恵ある者に怒りなし。よし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かものの仕業なり。」
有森裕子さんと出演します。 大本山總持寺の素敵な場所が、たくさん紹介されます。 ご覧ください。 番組ホームページ https://www.facebook.com/youkoso 「ようこそ櫻の国へ」 シリーズ:禅 第一回 TOKYO MX1(091ch) 8月3日(日) 朝6…
多忙のため 全く 自分の時間がありません
多用のため 全く 自分の時間が持てません
でも イライラせず 投げ出さず
そんな昨今、ふと浮かんだ言葉
随処作主 立処皆真
<ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり>
随所に主となるとは、「俺が」「私が」と主役を張ることではないのです
お客様に主役を任せてもいい
連れ合いに主人公を委ねてもいい
随処作主 とは、「ひとつながりのいのち」あることを知って、全てを楽しむこと
そうすれば、おのずから、立処皆真
つまり、「いま・ここ」が宝の山
恥ずかしながら、『ビートたけしのTVタックル』に出演いたします。 2014年6月30日 よる11時25分から ※一部地域を除く 日本一贅沢な人生相談? お坊さんサミット2014 東西の名僧侶が一堂に集結! ・ 不倫は本当にいけないこと? ・ パワハラ上司に対抗するには? ・ 愛と…
6月 07日 身
百計千方、只だ身の為にす
知らず、身は是れ塚中の塵なることを
言うこと莫れ、白髪に言語無しと
此れは是れ、黄泉伝語の人 香厳智閑禅師
日々の多くのはかりごとは、ただ我が身のため
やがて必ず、この身は墓場の土となることに思い至らない
老いた姿の自分を想像してごらん
先に逝った人が教えてくれてるよ
もしも、あの時、あの言葉を言っていれば
もう少し、ましな男になれただろうか
もしも、あの時、深く考えていれば
もう少し、まともな人生を送れただろうか
自分で自分のことがわからなくなったり
身の回りの世話をしていただくことになったりした時
私は・・・優しく、楽しく、明るい自分でいられるだろうか
日々の多くのはかりごとを 少し 我が身のために使わないこと
そこに答えがある
5月 26日 汝
5月18日より23日まで、中国の杭州を旅しました。
そのなかで、この一語と出会うことができました。
大衆慧命在汝一人 汝若不顧罪帰自身
これは、天童寺と径山寺の禅堂のなかにありました。
小さな木片に認められ、その前に小さなお香立てがありました。
汝とは、そう、私自身です。
「お前さんとご縁ある方々の仏縁は、実は、お前さん次第なんだよ。お前さんの在りようが問われているのだよ。」
この一語に触れた時、警策で肩を打たれたような想いをいたしました。
徳を積むとは、己の行為を貯金通帳に入れていくことではありません。
徳を積むとは、いい事をすれば、いい事があるという下心のことではありません。
徳を積むとは、感謝し、そして、壊さないよう、こぼさないようにすること。
今、あなたが生きていることへの感謝を態度で現わすことが、徳を積むことなのです。
いつもお世話になり、心より感謝しております。 私儀 このたび、さくら舎より『坐禅に学ぶ』を上梓いたします。 「禅という手だて」があることを伝えたい思い強く、不徳を顧みずの刊行となりました。 機を得て、お手にお取りいただき、ご感想をお聞かせいただければ幸甚に存じます。 尚、四月二十…
3月 31日 親
投稿日時 14:18
カテゴリ:
僧侶的 いま・ここ,
法話
by houe_admin
40歳も半ばを過ぎると、友人からの結婚式の招待状はほとんど届かなくなります。 たまに二度目や三度目の案内を受け取ることもありますが、祝い事へのお呼ばれよりも、喪服を着る機会の方が増えてくるものです。 そして現実に、親の介護や親の葬儀というものに直面する世代となります。 「親孝行、…
投稿日時 13:58
カテゴリ:
僧侶的 いま・ここ,
法話
by houe_admin
手にした物の数を競う人生。
人を二つの種類に分ける世の中。
悲しい哉、私たちには、物事に善悪や優劣の評価を自分の感覚のみで行い、それを絶対の価値観として生きている面があります。
そして、他者との比較の中で、自分を確認し、強く見せたり、賢く見せたり、威張ったり、怒鳴ったり・・・
あいつは金持ちだけど、俺の方が頭はいい。
あの人はもてるけれど、私の方が心はきれい。
そんな言い訳を作り出し、自らを慰める。
でも、比べる事により満足や喜びを得ようというのだけれども、満ち足りる事は、おそらく、ないでしょう。
自慢されると、鼻につく。
高慢な態度には、反発する。
わかっちゃいるけど、やめられない。
比べる心は、煩悩のひとつ。
1.高慢 自分の方が上だ
2.過慢 同上とほぼ同義
3.慢過慢 相手が上であっても同等だと思う
4.我慢 自分の考えは変わらないという思いあがり
5.増上慢 悟った、極意を得たという思い上がり
6.卑下慢 劣等感に落ち込む
7.邪慢 自分には徳があると思いこむ
野放図な煩悩は、やがて、悲劇を産む。
責任の裏付けのない権利。
こらえ性のない、傍若無人の態度を、力だと信じる短絡的な輩。
法に触れなければ何をしても良いという考え。
いくら、口を尖らせ、眉を吊り上げ、恫喝したとしても・・・それは、戯言にすぎない。
比べる心を手放そう。