大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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9月 16日 ハチドリ

この物語は、南アメリカの先住民に伝わるお話です。 森が燃えていました 森の生きものたちは われ先にと 逃げていきました でもクリキンディという名の ハチドリだけは いったりきたり くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは 火の上に落としていきます 動物たちがそれを見て 「そんなことをして いったい何になるんだ」といって笑います クリキンディは こう答えました 「私は私にできることをしているだけ」 『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』 今日の一滴って、何だろう? 着飾って、勝負下着で彼とのデート。 子供を連れて、勝沼にぶどう狩りへ。 入院してる旦那のお見舞い。 溜まった洗濯物を片付ける事、散らかった部屋に掃除機をかける事。 受験にむけてのお勉強、留学のための手続き。 いま・ここ、そして、この私。 全てはいま・ここにある、と覚悟ができた時、今まで嫌で嫌でたまらなかった自分や、自分を取り囲む環境も、あなたの味方に変わる。 さて、あなたの一滴って、何だろう? その一滴が、真っ直ぐに、いのちの大河に続きますように。
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9月 09日 ママはどこ?

彼女は血圧の薬を常用していた。 しかし、その事以外は普通の暮らしぶり。 朝5時半に起きて朝食を作り、夫と小学1年生の娘を送りだす。 最近は、近くの工務店で経理の勤めを始めた。 家族や友人そして勤め先の人までが、 彼女の屈託のない笑顔に、勇気づけられ、また、慰められていた。 多くの人が、彼女の底抜けに明るい人柄を慕っていたという。 それは9月の夕方であった。 帰宅した娘が目にしたのは、台所に倒れて大きく鼾をかく母の姿だった。 懸命な祈りも届かず、36の最期であった。 「若いのに、なんで?」と、叫ぶ友がいた。 「小さな子がいるのに、可愛そう」と、囁く声がこだまする。 大切な人を亡くした親子を慰める言葉は、誰も持っていない。 泣き腫らした目をしながら、父のそばに、ちょこんと座る娘。 幼い心に母の死を理解しようとするのか、黙り込んでいた。 妻の位牌を持つ夫の片手は、一瞬たりとも娘の肩から離れることはなかった。 儚い命である事に、改めて気付かされながらも・・・ 不条理な現実は、やはり、受け入れ難い。 移り変わるこの世の理も、この場には救いにもならない。 「○○ちゃん、さよならも言わないで、ママは逝ってしまったけれど・・・ママを悪く思わないでね。 こんなふうにお別れをするなんて、ママも思ってもみなかったんだよ。 ○○ちゃんの成長を見届けられないのは、 ママにとって、とても悲しく、とても辛い事でしょう。 もっと、○○ちゃんと、色んな事をお話したかったでしょう。 もっと、○○ちゃんと遊んだり、旅行したりもしたかったでしょう。 もっと、もっと、あなたのそばにいたかった。 ○○ちゃんも、ママの事が大好きでしょう。 ママも○○ちゃんの事が、ほんとうに大好きだったと思うよ。 「ママは、どこに行くの?」って、パパに聞いたんだってね。 パパからね、わかりやすく教えてくださいと、言われたよ。 あのね、ママは、決して、遠い処に行ってしまうのではないんだよ。 あなたの思いの届かぬ処へ、消えて無くなったんじゃあないんだよ。 じゃあ、どこだろう? ○○ちゃん、あなたの中にママはいないだろうか? 朝、ママと一緒に目覚め、学校に行く。 学校では、お勉強したり運動したり、お友達と遊んだり・・・ そして、晩ご飯。独りで食べなきゃならないときもあるだろうけど、そんな時でも、ママはあなたの中に、あなたといっしょにいるんだ、と。 そして、辛い事や苦しい事、悲しい出来事にであった時、 「こんな時、ママならどんなふうに考え行動するするだろうか?」って、問いかけてごらん。 きっと、答えてくれると思うよ。 今はまだ難しいかもしれないけれど・・・ ○○ちゃん、ママもあなたもひとつのいのちを生きている。 ママは○○ちゃんと早くさよならを言わなくちゃいけなくなってしまって、可哀相と言われることもあると思う。 でも、これからの○○ちゃんの頑張り次第で、ママの人生は変わるんだよ。 あなたがずるい子になれば、ママは泣いてしまうだろう。 ママはとっても可哀相だ。 でも、優しい子になれば、ママはきっと大喜びするよ。 あなたのママの人生を、可哀相で終わらしたらいけないよね。 ○○ちゃん、ママはあなたの事を本当に愛しているよ。 ○○ちゃん、ママはあなたの事を本当に愛しているからね。」
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8月 29日 置き場所

以前、葬儀相談員の市川さんが発行する「相談員がつぶやく「お葬式」のハナシ NO.065 」のなかで、以下の回答をしたことがあります。 ここのところ、同様の質問をいただく事が多いので、その時のものを加筆訂正し、掲載します。 [問] 我が家では、仏壇の上に祖母の遺影を飾っていました。 ところが、「その飾り方はよくない」と知人に指摘されました。 そんな時、不幸が立て続きにおきたので、両親が遺影をしまいました。 遺影を飾ってはいけない場所などあるのでしょうか? [答] お仏壇の上に遺影を飾る事と、不幸が立て続けにおきた事との因果関係は、全くありません。 何々をしてはならない教えが、仏の教だと受け止めている人も多いですが、実は、そうではありません。 人間が、本当の、自由な、何ものにも騙されない人間になる教えこそが、仏の教です。 戒律もありますが、人間を縛ったり窮屈な思いをさせる為のものではないのです。 お祖母様を偲ぶお心で、その場所に遺影を飾ったのに、知り合いから指摘を受けたとの事。 この指摘した方も、おそらく、何故よくないのかは説明できないでしょう。 こんな、心無い一言に惑わされたり、引きずられたりしない事こそが、仏の教えです。 遺影の置く位置は、仏の教えにはありません。 しかしこう申しあげても、実際に、気になさる方は気にされます。 この相談者のご両親は、遺影を外し、どこかにしまったとの事。 これもまた、仕方のない事だと思います。 この状態で「因果関係は何もないよ」と申し上げたところで、おそらく、聞く耳をもたれないでしょう。 それにこだわって、喧嘩をするのもまた、よくない事ですね。 ひとまず、ご両親の意思を尊重しましょう。 そして、時期を見て住職さんに尋ねたり、これを機に仏教にふれる機会を持たれてはと思います。 大好きだったお祖母様の写真は、フォトスタンドなどに入れて、机に置くこともできますよね。 似たような話に、水子やご先祖様のたたりだとかありますね。 それで、高額の絵や数珠などを買わされる。 子がその母を恨んだり、先祖がその子孫を憎んだりすると思いますか? むしろ、その逆でしょう。 人は弱い者でもあります。 思い叶わぬ事があると、何かのせいにしてしまいがちです。 そんな時こそ、真実を冷徹な目をもって、ものを見る事が大切じゃないでしょうか。 そして、その冷徹な目こそが仏教だと思うのです。 ひきずられない事、振り回されない事。
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8月 05日 言の葉 〔11〕

爾は、玉をもって宝となす。 我は、その玉を受けざるをもって宝となす。 『韓非子』喩老扁 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 宋の野人、耕して玉を得、これを司城の子罕に献ず。 子罕、受けず。 野人請いて曰く、此れ宝なり。願わくば相国、これを賜となしてこれを受けよ 子罕曰く、子は玉を以って宝となすも、我は受けざるをもって宝となすなり 『呂氏春秋』
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7月 29日 棺の中

棺の中に何を入れたいですか? 三角頭巾、手甲、脚絆、経帷子、六文銭、杖などのいわゆるの旅装束・死装束は、あまり見なくなってきたように思います。 パジャマ姿、普段着、あるいはお気に入りのお召し物で旅立つスタイルに変化してきています。 そして、棺の中には様々な物が並びます。 大切な思い出の写真、表彰状、ぬいぐるみ、本や手紙・・・生前、口に出して言えなかった言葉や思いもあるでしょう。 また、地域の文化で、蝋燭、マッチ、米、箸、お茶や茶菓子等々。 最近では、そのまま火葬できる副葬品が販売されています。 木製のゲートボールセット、釣具セット、日本酒やビールセット等々があるようです。 昨今は、生花祭壇が流行です。 お別れの際、献花する形で、参列者がその花を棺の中に納めます。 むしり取られた多くの花が、遺体を埋め尽くします。 ・・・でも、花にも命があるだろうに。 そういえば・・・ 母親の棺の中に、万札の束を入れた社長さんがいました。 酒好きの父親の遺体に、ビールと四合瓶の酒をかけた家族がいました。 あなたの、最期の持ち物は何ですか?
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7月 21日 15年後

15年後、檀家制度は崩壊するという指摘がある。 団塊の世代が死を迎えるにあたり、宗教や菩提寺、葬儀やお墓の在り方を自らの事として考え、自らの答えを出す時間が15年もあれば充分であろう、と。 「寺との付き合いは、親父の代まで」と、役員会で言い放った総代の息子さん。 「霊園にでも、新しくお墓を建てて、お墓の中身を移せばいいんだろ。更地にしろって、言われたってさ、しないよ。無視さ」と、語る猛者。 地域社会は後退し、それに伴い、地方の寺院も衰退しつつある。 寺院の格式が高くとも、檀家が少なければ、寺院も家族も維持し難い。 葬式や法事に頼る現状。 葬祭における伝道布教というけれども、では、布教のみではどうだろう? 東北地方の30歳の副住職さんは、今、東京で出稼ぎをしている。 仕事は、高層ビルの窓拭き。 中国地方の40代の住職さんは、地元で中学校の教師をしながら、年に数度の葬儀と檀務をこなす。 しかし、僧侶としての自分に自信が持てない。 僧形で生きたいと願っても・・・ 職を得るのなら、肉山の役僧か、専門僧堂の役寮しかないではないか。 他宗には、都市開教を支援するシステムがある。 また、葬儀法事に特化した僧侶派遣のシステムを構築しようとする動きもある。 都下のお寺の30年前。 当時の航空写真を見せてもらうと、周りは、田んぼだらけ。 お寺も田畑を持ちながら兼職し、境内には鶏をかっていたという。 檀家も百軒なかったそうだが・・・今では、千軒を越す。 北陸にある14軒の漁村。 故あって、それぞれの家が1億円のお金を手にした時、先祖供養のためだと、その集落にある無住のお寺を建て替えた。一軒均等に1千万円也。 菩提寺を紹介する会社もある。 いいお寺を紹介するらしいが、いいお寺って何? もしかして、会社に仲介料をふんだんにくれるお寺の事かな? 15年後、お寺はどうなっているのだろう? 15年後、私の川崎での活動は、ひとつの答えを得ているだろうか? 動けば、風が起きる・・・その風を信じよう。
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7月 12日 影法師

先日、久しぶりに、故郷を歩く機会がありました。 繁華街の凋落ぶりに、「これが、あの徳山か」と嘆息いたしました。 輝いて映った物が消えた姿に、改めて、常ならざるものなしと感じました。 20年ぶりの友人との再会。 「よお」の一声で、20年の時が、一気に走り去りました。 昔話のなかで、高校2年の頃、「人生は歩く影法師、その姿を見失うな」と、言葉を頂いた事を思い出しました。 あの頃、自分の影法師は、どんな姿をしてただろう? あの時、抱いた夢や希望の影法師は、どこに行ったのだろう? そして、今、私の影法師は、どんな姿なのだろう? 恵心僧都<えしんそうず>・源信の名は、中学の教科書にも登場します。 『往生要集』と言えば、思い出されるでしょうか? 源信は神童の誉れ高く、わずか15才ながら、村上天皇の前で『称讃浄土経』を講じるという名誉を得ました。 講義後、天皇は御感のあまり、お誉めの言葉と褒美の品、そして、僧都の位を源信に授けました。 源信はご下賜の品々を、故郷に独り住む母に送りました。 ところが、母は、それら全てを源信に送り返し、このような手紙を添えました。 「あなたが、立派な学僧になられた事を嬉しく思います。 うちには女の子はたくさんおりますが、男の子はあなた一人です。 その大事なあなたを、元服もさせずに比叡山に登らせたのは、偉い坊さんだと、世間にもてはやされるためではありません。 ひたすらに、真実の道を求めて、それを私に教えて欲しかったのに他ありません。華やかな場所に出入するような人になって欲しかったのでは、決してないのです。 もう私は老い先長くはありません。 お前が本当の聖人になるまで、私は死んでも死に切れません。 後の世を 渡す橋とぞ 思いしに 世渡る僧に なるぞかなしき   」 観無常 無名利・・・無常を観ずれば、名利なし 地位や名誉、人から褒められたい、よく見られたいと思う心の影法師。 ・・・学歴も資格もないよりも、あれば、便利なこの世の中。 地位や名誉で、人が変わる姿も、目にしてきた。 お前自身が偉いのか?それとも、その地位が偉いのか? 金襴のお袈裟をつけて、黙ってりゃ、偉いお坊さん。 褒められば、悪い気はしない。そして、威張り腐って、自ら腐る。 金・金・金と金を追いかける心の影法師。 ・・・金が全てじゃないって、きれいに言えない年齢になってきた。 金があるか、ないかだけで、人生が変わる事も知っている。。 子供がいれば、なおさらの事。学校に通わせるのも、ただじゃない。 金だけが己の力だと錯覚し、金を求めて、人に逃げられる。 世渡る僧・・・世渡る経営者、世渡る主婦、世渡る政治家、世渡るホスト、世渡るサラリーマン、そして、世渡る私。 個人では、モラルやルール。企業では、コンプライアンス。 そんな最低限の事でさえ・・・ あんな大人になんかなりたくねぇや、と思ったガキの頃の影法師に指をさされ、笑われてはいないだろうか? さぁ、もう一度。 いまから・・・ここから・・・
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7月 03日 お釈迦様の木

豊かな森の中に、一本の大きな木がありました。 その木には、仲良しの3羽の小鳥が、住んでいました。 小鳥の名前は、ぱっぱ、ぴっぴ、ぺっぺといいます。 いつも仲良く、一緒にご飯を食べます。 お昼寝も、歌やおしゃべり、お出かけも、一緒です。 ある日、ぱっぱが、こんな事を言いました。 「東の方に、大きな街があって、とても、楽しく暮らせるんだってさ」 すると、ぴっぴが、続けます。 「南の方に、大きな山があって、食べるものがいっぱいあるんだってさ」 ぱっぱとぴっぴは、「うーん、街に行こうかな?それとも、山に行こうかな?どうしようかな?」と、考え込んでしまいました。 すると、ぺっぺが言いました。 「僕は、ここがいいな。 とても楽しく暮らせる街かもしれないし、いっぱい食べ物がある山かもしれないけれど・・・僕は、やっぱり、ここがいいや」 小鳥たちは、みんな意見が分かれたね。 さて、どうしよう? ・・・そうだね、街に行ってもいいでしょう、山にいってもいいでしょう、ここにいてもいいでしょう。 しかし、ただひとつ、何をするにしても、忘れてはいけない事があります。 それは、小鳥たちが住んでいる豊かな森は、実は、みんなの心の中にあるという事です。 そして、その森の中に、一本の大きな木がある。 そう、その木こそが、お釈迦様の木なんです。 小鳥たちに誘われて、街にいっても、山にいっても、・・・みんなの心には、豊かな森とお釈迦様の木がある事を忘れないで下さい。 はい、では、隣の人と手をつないでください。 そして、心を手に集中してごらん。 なんだか、あったかいよね。 その、あたたかさこそが、森の姿なんだよ。 僕たちは、心の中に、豊かな森がある事を忘れてしまいがちだけれども・・・本当は、この森は、みんなとひとつに繋がっているんだ。 じゃあ、手を放してください。 最後に、和尚さんから、お願いがあります。 それは、お釈迦様の木に、栄養を与えて、育てていく事を忘れないでください。 どんな、栄養かというと・・・ ご飯をいっぱい食べてください。食べるときには、いただきます、食べたら、ごちそうさま、ね。 そして、いっぱい遊んで、笑って、お父さんやお母さんや先生の言う事を聞いて、元気に保育園に通って、お歌をうたったり、かけっこしたり、今日のように般若心経を読んだり、坐禅をしたり・・・そう、普段、みんながしてる事、それが、お釈迦様の木の栄養になるのです。 その栄養がお釈迦さまの木の根に届いて、もっと、もっと、大きな立派な木となって、必ず、みんな事を守ってくれるようになります。 どうか、みんなの心の中の豊かな森が、もっと豊かになって、そして、お釈迦様の木が、もっと大きく太く、立派になるように、そう、和尚さんは、願っております。 では、最後に、みんなで合掌をしましょう。 ありがとうございました。
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6月 23日 南無帰依佛

先日の事です。 朝のお勤めを始める時の事でした。 3歳の姪っ子が、パジャマ姿のまま、本堂に来まして、ちょこんと、私の隣に座りました。 まぁ、しばらく居れば気が済むだろうと思い、放っておきましたが・・・ お経を始める前に、まず、ご本尊様にお拝をし、手を合わせて、「南無帰依佛、南無帰依法、南無帰依僧」と静かにお唱えをいたします。 隣をみると、姪が同じように、手を合わせて、口を動かして真似をしようとしていました。 そこで、彼女の方を向き、わかり易いように、ゆっくりと、「南無帰依佛」と言ってみました。 すると、彼女も手を合わせて、「南無帰依佛」 続いて、「南無帰依法」と言うと、「南無帰依法」と、 そして、「南無帰依僧」と言うと、「南無帰依僧」と、ちゃんと、お唱えをしました。 とても嬉しい朝のお勤めの始まりでありました。 同じ佛弟子として、共に手を合わせる世界があるんだな、改めて、幼な子に教えられました。 佛道において、初心の者も、また、その道を親しく行じている者にも、手を合わせ誓う言葉は、「南無帰依佛」であります。 佛様を信じ、その教えとその教えを実行している者を信じ、拠り所といたしますという決意でございます。 まだ、年端もいかぬ子であっても、、歴代のお祖師様方であっても、斉しく「南無帰依佛」であります。 つまり、「南無帰依佛」とは、仏法の入り口、出発点でありながら、しかも、同時に、その堂奥に達している、信仰の帰着点でもあります。 さて、皆さんにお尋ねいたしますが、この「南無帰依佛」の佛とは、誰だと思いますか? 曹洞宗のご本尊様であるお釈迦様だと、お答えになる方もいらっしゃるでしょう。 または、ご自身で信仰をされているお観音様やお地蔵様の事を思い浮かべる方もあるかもしれません。 「南無帰依佛」の佛とは、お釈迦様やお観音様、そして、お地蔵様、その通りでございます。 しかし、もう一人、大切な誰かをお忘れになっていませんか? それは、ご自身の事です。 つまり、皆さんお一人お一人が、「南無帰依佛」の佛なんです。 いわば、南無帰依私、、南無帰依俺、でございます。 「オイオイ、まだ死んでないぞ、勝手に殺すなよ」と、仰らないでくださいね。 実は、我たちの命は、お釈迦さまやお観音さまやお地蔵様と、同じ真実なる命の現れであります。 だからこそ、だからこそ・・・この身が尊い。 江戸時代に生きた禅僧、白隠様が残された著述に、こんなお言葉があります。 衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の他に仏なし 意訳いたしますと・・・ あなたのいのち、それは、佛様のいのちを生きているのだよ それは、水と氷のように、ひとつのものが形を変えて現れているのだよ だから、水がないと氷ができないように あなたが今生きている、このいのちこそが、佛様のいのちなんだよ と、いう事であります。 私たちの命も、お釈迦様の命も、月の満ち欠けや一片の雪、花が咲いたり、木々の若葉が芽吹いたりする事も、その大きなひとつのいのちの現れであります。 この事に気づき、手を合わす事をしなければ、やはり、勿体無いなと思うのです。 昨今、教育の現場において、陰湿ないじめと自殺が大きな問題となっております。 自らを強く大きく見せんがため、集団で、一人の者をいじめる。 ある時は、暴力をふるい、ある時は、ネット上に誹謗中傷を書き込む。 そして、ついには、その一人を追い込み、死に至らしめる。 もし、本当に、自分が佛様でもある事を信じたならば、また、気づいたらば、決して自分自身を強く見せたり、人を追い込むような乱暴な言葉を発したりは、できないでしょう。 まして、他人のものを盗んだり、殺めたり、人をいじめたりはできないはずです。 自ずとその生活に、佛様と同じ境涯、つまり、同じものの考え方や、同じものの見方が現れてまいります。そこには、してはならない・してはだめだという行動規範やルールではなく、自ずから犯す事のできない・犯しようがない佛としての戒めが、この身に備わっている事に気付くでありましょう。 3歳の姪っ子に、「南無帰依佛」と手を合わす事を教えましたが、おそらく、今の彼女には、佛弟子としての自覚も、佛としてのいのちの気づきもないでしょう。 人生の辛酸を舐めることもなく、宗教的な回心を経験したことも無く、ただ真似をした「南無帰依佛」にも意味があるのだろうか?と思われる方もいるかもしれません。 ですが、僧侶として、思うのです。種をまいておこう、と。 いずれ、思いどおりにいかぬ現実に直面した時、生きていく者としての悲しみや寂しさを強く感じた時、この世が移り変わっていくものであるという真実に気づいた時、この佛の教えがある事がどんなに心強いかを諭し、そして、その機縁を作ってあげておこう、と。 今、曹洞宗のスローガンは、「深めよう み佛の絆を 全ては関り合いの中から」です。 ご自身のみ佛の絆を深めるにあたり、もっと、端的にもうしあげましょう。 それは、「深めよう み佛としての絆を」です。 まず、皆様お一人お一人がみ佛である事を信じ、気づき、み佛として生きていく。 そんな自覚をもつ生き方にこそ、全ての関わり合いの中から、深く多くのものを学ぶことができ、そして、それを活かし、相手を慈しみ、思いやり、調和のある穏やかで豊かな時が現れてくると思うのです。 尚、お寺では、毎月20日、読誦会をしております。 朝のお勤めを、共にする会であります。 より親しく親しく「南無帰依佛」とお唱えしていただくためにも、どうぞ、一人でも多くの方にご参加していただきたいと、願っております。 ご清聴、ありがとうございました。
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