投稿日時 17:09
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僧侶的 いま・ここ,
法話
by houe_admin
さて、今日は「利益」について、お話をしたいと思います。
これ、なんと、読みますか? ハイ、そこのお姉さん。
ほかに、ありますか?じゃあ、そちらの、お嬢さん。
この言葉はもともと仏教語で、「りやく」と読みます。自分が得るということではなく、他の人に恵みを与える、という意味です。
しかし、この銭や金の世の中、この字は、「りえき」と読んで、儲けや得ということを意味するようになってしまいました。
本日は、このりやくについてお話をいたします。
りやく、ご利益といいますが、「本当のご利益って、何かな?」について、ご一緒に考えてみましょう。
この世の中、たくさん、ご利益がございます。
いくつぐらいあるのか、私、調べてきました。
読み上げますので、お聞きください。
【資料1】
どうでしょうか?いっぱいあるでしょう、ご利益が。
実は、もっともっとあるそうですよ。
では、こんなに、たくさんご利益があるのに、ひとつも、私のところには、まわってこないなぁと、思う方は手をあげてみてください。
そうでしょう、わたしも両手両足をあげたいくらいですが・・・
あっ、手を下ろしてくださいね。いつまでも手をあげてても、ご利益は、ありませんからね。
特に、みなさんに関係するご利益を言えば、何でしょう?
やっぱり、恋ですか?愛ですか?恋愛成就?
いや、いいのがあるんですよ、京都に。
京都の東山に、安井金比羅神社ってのがありまして。ここが、有名なんです。
ここの神様は、不倫成就の神様なんです。
もともとは、縁切りの神様だったんですが、いつの間にか、縁を切ったついでに、縁を結ぶようになりまして、両方のご利益があるそうです。
ちなみに、境内は、こんな願い事が書かれた絵馬や形代でいっぱいだそうです。
「馬鹿女房と別れて、会社の絵理ちゃんと、一緒になれますように 俊夫 」
「主人と一日も早く縁が切れて、●●さんと結婚できますように マリリン 」
私も今年の秋は、京都に旅行をしようかなぁ?
他に、皆さんに関係あるとしたら・・・ああ、ぽっくり、ですか。
例えば、会津コロリ三観音ってのが、ございますね。
中田観音様、立木観音様、鳥追観音様、ですね。
お参りされた事は、ございますか?なかなか、準備万端でございます。
ああ、そうだ、とびっきりの物をご紹介いたしましょう。
それは、嫁いらず観音というのが、ございます。
これは、ですね。岡山県の井原市にあります。
誤解しないでくださいよ、「いつまでも健康で、幸福な生涯を全うし、嫁の手を煩わす事がない」という事で、嫁いらずですから、ね。
あの嫁がいらんから、嫁いらずって言うのでは、ありませんよ。
さてさて、嫁いらず観音と嫁いびり観音は、どっちが強いのだろう?
ここまで、たくさんのご利益を紹介してきましたが・・・
これは、ご利益とは、人間の欲や願いの裏返しだと、言ってもいいかも知れませんね。
自分の力では、いかんともしがたい、どうにもならない事を、神さんや仏さんにおすがりをして、「どうぞ、お救いください、どうぞ、お助けください」ってね。
こんな川柳が、ございます。「ご利益は あてにしないで 初詣」
年の初めに、初詣で、まぁ、皆さんは、お持ちでしょうから、福沢諭吉を数枚いれるかもしれませんが・・・多くの方は、小銭を賽銭箱に投げ入れる。ご縁がありますようにで、5円。十分にご縁がありますようで、15円。ちょっと、奮発して、十二分にご縁がありますようにで、125円。
それで、家内安全、家庭円満、交通安全、無病息災、大願成就・・・あとは、死んでも命がありますように、なんて、ね。
さて、皆さんにお尋ねいたしますが、この●●寺様にお参りされて、何かご利益はありますでしょうか?
「いえいえ、私は、ご利益なんか求めておりませんが、でも、お寺には、親しくお参りします」と、宣言できるお人があれば、実に、大物のお方でございます。
目に見えるお金や健康だけのお話ではなく、お寺にお参りする、何よりのご利益は、ここの方丈様や若方丈様と接し、ものの見方が変わる事こそ、ご利益ではないかな、と思うのであります。
仏教とは何か、を一言で表せば、ものの見方の事でございます。
お釈迦様と同じものの見方をする事で、この世を正しく見ていく事ができるのであります。
信仰心の厚いお嫁さんと、意地悪ばあさんとのお話です。
【資料2】
この姑と嫁のお話、どうですか?
こんな意地悪ばあさんなら、嫁も反撃してですね、「あのクサレばばあ、早く、地獄にいきやがれ」と、拝んでもよさそうですけど・・・しないんですね。
何故か?それは、やはり、この嫁様は、お寺にお参りする事で、仏の教えに親しく、お釈迦様と同じものの見方をしているからではないでしょうか。
こんな、話がございます。
昔、お釈迦様のもとに、若い修行僧がおりました。
夏のとっても暑い日に、坐禅をしていたのですが、もう暑くて暑くてたまらない。
いやぁ、ここでは、とっても暑くて坐禅なんかできないから、場所を移動しようと、考えました。
どこか涼しいところはないかな、と探すと、木陰を見つけました。
よし、ここがいい、と決めて、また、彼は、坐禅を始めました。
しかし、夏の暑い日。風が生ぬるくて、なんだか気持ち悪い。だんだんいらいらしてくる。
ふと、彼は「今日は、坐禅はやめて、水浴びでもしようかな」って思ってしまいました。
すると、ますます暑さが我慢できなくなってしまったんですね。
どんどん邪念が広がりまして、こんな事して、何になるのだろう、とか。
いっそ、修行なんかやめて、町に遊びに行こうかな、とかって、思うんですね。
ああもう我慢ならない、と坐禅をやめ、立ち上がった時、彼は、はっと我に返って、お釈迦様のところに行き、相談をしました。
「お釈迦様にお尋ねいたします。
お釈迦様は、お悟りを開かれた偉大なお方ですから、暑いとか寒いとかを感じないでしょうけれども、どうすれば、そんな風になれるのでしょうか?」
お釈迦様は、こんなふうに答えました。
「例えば、弓矢が飛んできて、体に刺されば、痛くないものはいないだろう。
それと、同じで、私も暑いときは暑いし、寒いときは寒いよ」
若い修行僧は、驚きながら、また尋ねるんですね。
「じゃあ、私とお釈迦様は、同じなのでしょうか?」と。
そうすると、お釈迦様は、丁寧にお諭しになれれました。
「暑いという第一の矢が当たるところまでは、実は、お前さんと私は、同じだけれども、その後が違うんだよ。
私は、今日は暑いなぁで終わりだけれども、お前さんは、暑いから風がほしいとか、水浴びがしたいとか、いろんな事を考えて、第2・第3の矢があたっている。
私は夏は暑いのが当たり前だと、思っていいるから、第2の矢があたらないんだよ」
お分かりになられましたか?この話。
お釈迦様は、私たち向かって飛んでくる、苦しみの矢は、防ぐ事ができないって、教えておられます。この苦しみは、誰しも、防ぐ事ができないんだって。
暑い時は暑いし、寒い時は寒い。辛い時は辛いし、悲しいときは、やっぱり、悲しい。
それは、お釈迦様でも、私も、皆さんも、まったく、同じです。
しかし、第2.第3の矢は、ものの見方によって、防ぐ事はできるんだよ、と。
人間は第1の矢を受けてしまうと、その事にあわてふためき、自らが第2・第3の矢を受けてしまい、どんどん事態がひどくなる。
けれども、第1の矢だけを受けとめて、終わる事ができれば・・・
もう、あれこれと迷う事がなくなる。
この●●寺様にお参りするご利益とは、何か?
もう、皆さんは、おわかりでしょう。
それは、例えば、米が大豊作になるとか、そんな事ではありませんね。
むしろ、ご利益は、その後の事、起こった事への受け止め方。
お米が豊作になれば、神様や仏様、そして、ご先祖様や周りの方々に、おかげさまと、心から感謝できます。もし、万が一、不作となったとしても、後悔だとか、恨みだとか、そんな気持ちに支配されなくなってきます。
この受け止め方を学べる事こそが、本当のご利益でしょう。
あいだみつをさんを、皆さんはご存知ですね。
あいださんは、お釈迦様のこの教えを、このような詩に表しました。
先ほど、お渡しいたしました資料をご覧ください。
【資料 詩】
いかがでしょうか?
第1の矢は避けられないものだ、と。しかし、愚痴や弱音という第2・第3の矢は、受けないという決意なんですね。
そうは、言っても人間、弱いもので、第2.第3の矢を受け続ける事もあるのだ、と。
ついつい、愚痴や弱音を吐き続け、人の悪口でうさばらしをし、どうして私ばかりなんでこんなに苦しいのか、と思い続ける事もあるでしょう。
でも、そうやって、第2・第3の矢を受け続けているという事に、まず、気付く事が大切だと思うのです。
ご利益って、お金が儲かる事でも、不老長寿になることでもない事を、お分かりいただけたでしょうか?
本当のご利益とは、人間としてのいのちの根がふかくなること、それが、よい人とめぐり合い、豊かな潤いのある人生を送る事ができる。
一人ひとりが仏のお釈迦様のものの見方を身につけ、本当の自分に気づくご利益を実感し、他の人びとにも、そのご利益を分け与え、ともに生きてまいりたいな、と思うのです。
人生80年時代と申しますが、ちょっと皆さんご想像ください。
青春時代というのは、何歳から何歳ぐらいまでと考えられますか?
人生に四季を当てはめて考えると、次の夏は働き盛りの時期でしょうし、秋は、壮年、そして老人になれば冬の時代と、そうなるようにも思いますが、実はそうではありません。
人生は冬から始まる、と
幼少から二十歳ぐらいまでは体力、知力を鍛えます。
これが玄冬、つまり冬なんですね。
春は、青年期20から40ぐらいですね、この時期はまさに青春、人生は機を得て就職や結婚、家庭、社会に存在感を示すとき。
夏は40から60、中年期です。朱い夏、朱夏といいます。あかく太陽が燃え盛るように、人間のつながりを生かしながら活動するとき。
そして、60を過ぎ高齢期、これが秋です。白秋、といいます。
今まで培ってきた事の自信をもって、人生の収穫を楽しむ時期です。
さあ皆さんは、どの季節でしょうか。
夏ですか?秋ですか?まさか春はないでしょう・・昔は春だった。
この収穫の時期、この実りの秋にこそ、大きなご利益、ここ●●寺様と親しくお付き合いをなさることによって、大きな収穫、大豊作にしていただきたいと願っております。
ご清聴ありがとうございました。
※補足 盛永宗興老師 「どうぞ」の話
投稿日時 23:24
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法話
by houe_admin
ある日、マールンクヤプッタ尊者は静かなところで独坐していました。
その時、ふと、心に疑問が生じました。
「この世界は永遠なんだろうか、それとも、永遠でないのだろうか?
この世界は有限なんだろうか、それとも、無限なんだろうか?
霊魂と身体とは同一なんだろうか、それとも、別物なんだろうか?
如来は死後に存在するのだろうか、それとも、存在しないのか?
如来は存在しかつ非存在であるのだろうか、それとも、存在もせず非存在でもないのか?
そういえば、お釈迦さまは、この事について説かれた事がないよなぁ・・・
そうだ、お釈迦様にこれらの問いをお尋ねしよう。
そして、お釈迦様がお教えくださったならば、益々、修行に励もう。
しかし、もし、お教えくださらなければ、修行をやめて、還俗をしよう」
彼は、この疑念をお釈迦様にぶつけました。
お釈迦さまは、ひとつひとつの問いに答える事なく、こんなお話をされました。
「たとえば、ある人が毒矢で射られたとしよう。
家族や友人が医者を迎えに行き、矢を抜かせようとするでしょう。
しかし、本人が毒矢を抜くことを拒否したらどうなるだろう?
誰がこの矢を射たのか、どんな階級に属している者が射たのか、この矢の毒の種類は何か、 この矢を射た弓はどんな弓だったのか・・・
その事がわからぬうちは、この毒矢を抜いてはならないと、主張したら、この男はどうなるだろうか?
マールンクヤプッタ尊者よ、あなたはこの男をどう思うかね」
「・・・・・・・」
「あなたの問うた事は、実は、この男と同じなんだよ。
いま大事なことは、すぐに、矢を抜いて手当てをすることだ。
こんな問いにとらわれる事なく、本当の真実に目をむけなさい。
この問いは、厭離に導かず、離欲に導かず、止滅に導かず、寂静に導かず、証智に導かず、正覚に導かず、涅槃に導かない、利益をともなわないものだ。
この現実の、生があり、老いがあり、死があり、愁い、悲しみ、苦しみ、歎き、悩みがあるこの身を見つめ、真実なるものをつかみなさい。
「苦とは何か?」の問いを深め、まず、四諦を学びなさい」
最後に、お釈迦さまは、こう続けられました。
「私が説かなかったことは、説かれなかったままに受持しなさい。
また、私が説いたことは、説かれたままに受持しなさい」
この教えを聞いたマールンクヤプッタ尊者は、お釈迦様の教えを歓喜し、心から信受しました。
「箭喩経」『マッジマ・ニカーヤ』第63経
五月病も五月晴れも、同じ五月。
同じ5月なのに、なんだか、気持ちが晴れないのは・・・
毒矢が刺さってはいませんか?
いや、毒矢を大切に持ち歩いてはいませんか?
菩提寺<ぼだいじ>という言葉をご存知でしょうか?
檀家<だんか>という言葉はどうでしょう。
檀家として属するお寺の事を、菩提寺といいます。
檀家制度の成立に関しては、歴史的な考証が欠かせませんが・・・
先日、友人の母親から、サークル仲間の愚痴を聞いてあげてくれないかと、電話がありました。
これもご縁と、待ち合わせの品川の喫茶店へ行きました。
穏やかそうなご婦人でしたが、よぽど腹に据えかねていたのでしょう。
自己紹介の後、憤り冷めやらぬご様子で、話しがはじまりました。
「実は、この連休に、母の3回忌を行いました。
ご住職様は不在という事で、跡取りの長男がお経を読んでくれました。
その人は、私の子供よりも若く、まだ25歳前後でしょうか・・・
その姿は、肩まである金髪で、耳にピアスをして、衣を着てました。
驚くというか、あきれてしまって、言葉がでませんでした。
●●宗って、あんな格好が許されているのですか?」
「まぁ、お観音様も長髪ですし、耳にピアスもしていますからね。
私は、その人にお会いした事がないので知りませんが・・・
何か、素晴らしい信条があってのお姿ではないでしょうか」
と、お答えしたら、間髪入れずに「いいえ、そんな人ではありません」と、声を震わせてさえぎり、その日の出来事を一気に吐き出しました。
「父親と私たち家族、そして、妹の家族で、お寺に行きました。
お手伝いの女性の方が、控え室でお茶を出してくださいました。
約束の時間になった頃、その女性が本堂に案内してくださり、今日はご住職は不在だから、ご長男さんがお勤めしますと説明されました。
しばらく待っておりますと、あの姿で長男が現れました。
そして挨拶もなく、いきなりお経が始まったんです。
しかも始まったかと思うと、10分位でお経が終わりました。
そして、ただ一言。
お焼香をして、お墓におまいりください、ですって。
帰り際の玄関にお寺の奥様が現れ、お布施をお願いしますって。
母は院号でして・・・お布施として15万以上、お膳料で1万円。
塔婆代として、8本分4万円、計20万円以上を請求されました。
お包みしたものをお渡しすると、「確認いたします」と言って、なんとその場で、中のお札を数えはじめたんです。
そして、「領収書は必要ですか?」って、言われました。
今まで、お寺のご住職とお目にかかったのは、一度しかないんです。
お参りしても出てこられないんです、会議だとか打ち合わせだとかで。
葬儀社さんの紹介で、葬儀のお願いに伺った時に、一度だけ。
お檀家になるという約束で、墓地を分けてもらいました。
通夜や葬儀、そして初盆や1周忌の時にお勤めされたのは、ご住職ではありません。そのお寺で働いてた年配のお坊さんが、お経を読んでくれました。
いろいろとお話してくださる気さくな方でしたし、私たちもこの方ならって思ったのに。今春、辞められたそうです。
両親はともに信州の出身で、この町に居を構えて50年になります。
父は四男でして、信州のお寺は長男の伯父が継承してます。
もっと前もって、お寺やお墓について調べたり、探したりしてば良かったと、後悔してます。
今となれば、遅いですが・・・
お墓参りの後、父親が呟きました。
「母さん、喜んでいるのかな?これで、母さんの供養になるのかな?」
この言葉を聞いて、私と妹は、その場で泣き崩れてしまいました。
とっても、悔しくて・・・」
時折、ハンカチで目元を押さえながら、およそ2時間半。
その間、私は言葉を差し挟むことなく、コーヒーを3杯。
そして、別れ際に一言。
「あのお寺の檀家を辞めます」
あなたは、どこかのお寺の檀家さんですか?
その菩提寺の名前や宗教が答えられますか?
その菩提寺のご住職の顔と名前はわかりますか?
投稿日時 11:17
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法話
by houe_admin
最近受講した、「話し方教室」の内容。
拙い法話が、少しでも心に残ればとの企業努力ですが・・・
先生曰く、言葉を伝えるには、言葉そのものよりも、非言語の部分が大きい。
そして、「印象管理」をせねばならない、と。
例えば、思いを寄せた子との初めてのデート。
「どこへ誘おうか?・・映画、観劇、吉本?」
「何を着て行こうかな?ご飯はどうしよう?それから・・でも、いきなり、ホテルは・・・まずいよなぁ」
来る日に向けて、しっかり、デートのシュミレーション。
ポイントは・・・自分を彼女にどのように印象づけるか。
デートはもちろん、対人関係、ビジネス。
自分が相手に与える印象を考え、マネージすることが「印象管理」。
ふと、こんな逸話を思い出しました。とんちで有名な一休さんです。
ある日、都の富豪から法事をしていただきたいと使いの者が参りました。
一休さんは、承諾しました。
法事の前日の事。
いつものように、托鉢をする一休さん。
ボロボロの衣を着て、一軒、一軒、軒付けをし、お布施を乞います。
法事の施主家に来た時の事。
「この乞食坊主がっ!」と主が怒鳴り、下男は棒でたたいて追い返しました。
法事の日。
立派な金襴の袈裟と衣を身に着けて、富豪の家に行きました。
その姿を見て、主は大喜びしました。
丁重に迎え入れ、仏前へとお願いしたのですが、一休さんは玄関から、入ろうとしません。
主は困惑し、「どうぞ、お勤めください」と、懇願しました。
そこで、一休さんが一言。
「では、この袈裟と衣に勤めてもらうがええ。
昨日の乞食も、今日の愚僧も同じ身。昨日は、棒をくらい、今日は結構な接待を受けるとは、ひとえにこの衣が立派だからだろう」
黄檗の 三十棒を あてられて
みにはれきたる 蝉のぬけがら 一休
あなたは、まず、人のどこを見ますか?
そして、あなたは、自分のどこを見てほしいですか?
4月 22日 家族葬
家族葬という言葉をご存知でしょうか?
最近では、家族葬専門と看板する葬儀社もあるようです。
まぁ、ほとんどの葬儀が、家族葬とも言えなくもありませんが。
だって、故人を送るのは、その家族だから・・・
家族葬とは、一般会葬者を呼ばないで、家族で故人をおくる葬儀の事。
故人とゆっくりお別れが出来て、しかも、葬祭費用があまりかからないのが利点だとの事。
「故人とのお別れの時間を大切にします」と「葬儀費用の負担が少ないです」が、誘い文句。
しかし、どうなのかなぁ、実際は?
親しく親しく見送るための家族葬なのかな?
それとも、もしかして・・・ただ、安いからの家族葬?
【ホントに、安いのかどうかは、わかりませんが・・・】
家族に葬がついて、家族葬。
なんだか、家族という素敵な言葉が葬られた気がしませんか?
家の意識も家長制度も崩れ、核家族になったこの国。
この言葉は、やがて、家族の本質を蝕み、そして、家族そのものを葬る事になる予兆なのかもしれません。
投稿日時 19:33
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僧侶的 いま・ここ,
法話
by houe_admin
『千の風になって』の歌詞について、尋ねます。
「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」という歌詞が、納得できません。
私は、お仏壇にはよくご挨拶しますし、お墓参りもします。
そこにいてくださる感じがするし、安心できる場所のように思います。
この歌詞についてどう思われますか?
MIXIで、このような問いをいただいたのが、年の初め。
答えようにも、この歌をきちんと聴く機会がなく、また、買ってまで聴きたいとも思わなく・・・
既に、4ヶ月も過ぎました。全く、無常迅速です。
遅くなって、ゴメンナサイ。
この歌は、とても人気があるようですね。
葬儀においても、記帳の時や棺に花を入れる間に流れる事が多いですよ。
きっと、歌声が心地よいし、詩情的な香りが高いからでしょう。
そして、死をイメージしやすいからでしょうか。
この歌に癒された方が多いのも確かでしょう。
故人や遺された家族が、「これでよい」と思っているのなら、
・・・多分、それでいいのでしょう。
ただ、この歌を褒め称えているお坊さんを見ると、「あれっ?」と、思います。
アートマンを認めないのが仏の教えなのに・・・方便なのかな?
さて、ご指摘の
「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」ですが・・・
私は、お墓の開眼供養の後、こんな話をする事があります。
「墓地を求め、お墓を建て、納骨なさいました。
この場所は、親しく親しくお会いできる所ですが・・・
ここに来なければ、故人様に会えないかというと、決して、そうではありません。
今、あなたの、そのお足元を、よくよくご覧になってください。
ひとつに繋がっている事に気づきませんか?
例えば、あなたの家、学校、会社、あなたの念ずるところ、あなたの思うところで、いつでも、繋がっているのですから」
供養とは・・・
その故人を通して、真実なる世界に気付く契機とすべきものである。
毎朝、仏壇に手を合わせるのは、ご先祖様に、生きる喜びを感謝するためだけでなく、また、死んだお父ちゃんやお母ちゃんを偲ぶためだけでもなく・・・
その奥にある、真実なる仏の世界に手を合わせ拝んでいる事にも気付く事こそが、大切である、と、私は思うのです。
いかがでしょうか?
返事が遅いうえに、こんな回答で失礼いたしました。
最後に、この歌について、ひと言。
「死んでなんかいません」という歌詞について、よくよく点検が必要だな、と強く感じております。
天上天下唯我独尊
私が、この言葉を知ったのは、中学の頃でした。
暴走族の黒い特攻服に、金の糸で縫いこんでありました。
燦然と輝くその文字の意味は・・・この世に怖れる事などない、己のみを高しとする態度の事だと信じておりました。
禅を知り、大学に進み、この言葉と、再び出会いました。
それは・・・お釈迦様の誕生の時のこと。
出産をひかえたマーヤー夫人が故郷に帰る旅の途中。
ルンビニー園を通りがかった時、お釈迦様は誕生しました。
そして、すぐに、四方それぞれに7歩歩き、右手で天を、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と宣言された、と。
大学の先生は、こう説明をしていました。
「私」の命は、この世界に一つしかないもの。だから、私の命は尊い。
そして、全ての命、その一つ一つが、同じように尊いのだ、と。
でも、赤ちゃんなのに・・・
赤ちゃんが、歩いて話すなんてありえないよ・・・
これは、まるで暴走族みたいな論法だな、と私は感じておりました。
しかし、ご縁あって参禅を繰り返し、お釈迦様を慕う気持ちが強くなりました。
ある日、お師匠様から、次のように示されたとき、「赤ちゃんなのに」
という思いが、ふっと消え去りました。
「天上天下唯我独尊・・・
お釈迦様は、生まれてから今日まで、この事を叫び通しに叫んでるよ。
お前には、その声が、聞こえないかね?」
あなたには、この声が聞こえますか?
投稿日時 06:28
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by houe_admin
・・・世の中、クソ坊主ばかりだね。
今まで、施行した葬式にきた坊主で、まともなのはいないよ。
ただ、衣を着て、お経を読んで、何十万も取るんだぜ。
で、アホ面下げて、威張り散らしてさ。
なんで、あんなのを「先生」って、呼ばなきゃなんないの?
あいつら、人の不幸で飯を食ってるだけの最低の人間だよ。
・・・もう、絶対に、男なんか信じない。
結婚するって、約束しての同棲だったのに。
13年よ・・・13年も一緒に暮らしたのに。私、もう35なのよ。
両親にも紹介したし 彼の田舎にも何度も行って。
それがさぁ、いきなり好きな女ができたからって、その人が妊娠したから別れてほしいって言うのよ。
だから、別れてやったわよ、あんな奴とは。
私、もう、男なんか絶対に信じない。仕事に生きるの。
・・・あんな会社なんか、もう辞めてやる。
あの馬鹿社長なんか、俺がいなけりゃ、すぐに潰れるさ。
頭をあちこちに下げて、誰が仕事をとってきたと思ってるんだ。
朝から晩まで、休みも返上して、残業手当も昇給も、全くなしだぜ。
俺、女房と小学校のガキが一人いてさ、で、手取りで22だよ。
結局、何もしない社長一家だけが、左団扇だもんね。
もう、ホント、やってられねぇよ。
俺にはノウハウもあるし、それなりに人脈も築いてきたし、だから、独立してさ、あの馬鹿社長に、ひとあわふかせてやるよ。
誤解を恐れずに言おう。
今のあなたを取り巻く環境は あなた自身が造り出したものでもある。
そして、これから現われる出来事も、まず、あなたの心が先導する。
クソ坊主なんてと思う心に
あのアホ男なんてと思う心に
あの馬鹿社長なんてと思う心に
そんな構えた心に
そんな凝り固まった心に
新しい発見も、素晴らしい感動も、素敵な出会いも現れる事はない。
いや、その訪れに、気付くことさえもできないだろう。
道元禅師が宋で修行を終えて帰国した時、何も持ち帰らず、空手で帰国した。
ある人が禅師に尋ねた。
「あなたは、かの国から、何を得て帰られたのですか?」
禅師は、微笑みながら、こう答えたという。
「柔軟心<にゅうなんしん>かな」
不平不満、未練、愚痴・・・
悪徳坊主に、狡賢い葬儀社。
節操のない男に、操の薄い女。
馬鹿な社長に、始末の悪い社員。
思い通りにならない事はたくさんある。
裏切られる事もあれば、足元をすくわれる事もある。
時には、阿呆と思う人にも、頭を下げなければならない事もある。
時には、わずかのお金にも、土下座をしなければならない事もある。
でも 、柔らかな爽やか場所にこそ、人は集う。
そして、穏やかな温かな場所にこそ、豊かな時間と法の潤いが現われる。
だからこそ、・・・くじけないで。
新たな出会いのヒントは、あなたの柔軟心にある。
真面目で
親切で
ゆったりと
堂々として
どっしり味のある
そして、快活な人物
かつて、三鷹の尼僧堂の堂長老師であった長沢祖禅尼は、好きな人と題してこんな言葉を残しておられます。
ともにわかちあおう 喜びも悲しみも
そのすべてが、いのちのはたらきである
ともに感じよう 柔らかないのちの温もりを
そのすべてに、我らは生かされている
ともに歩もう 慈しみの道を
そのすべてが、尊きいのちとの出会いである
今春、嫁ぐ妹に、この言葉を贈ります。
・・・わかりゃあいいけど。
3月 17日 春彼岸
投稿日時 13:39
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by houe_admin
かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心
ひろく、ひろく、もっとひろく・・・これが般若心経、空のこころなり
奈良薬師寺 第127代管主高田好胤
大きな大きな心の持ち主さん。
さぁ、堂々と、悠々と、春を歩きましょう。