投稿日時 23:52
カテゴリ:
僧侶的 いま・ここ,
法話
by houe_admin
しばらく、留守にしてました。 留守中に、ある方からメールを頂きました。 以下、抜粋し引用します。 >仕事柄、様々な方からメールやご意見をいただくのですが、今の世の中、僧侶の方が応えなければならない質問が山積しているように見うけられます。 でも、みなさん、僧侶の方へ質問してはいませ…
ブログ立ち上げたばかりですが、9月26日まで、小休止いたします。 と、申しますのも 皆さんは、接心<せっしんと読みます>をご存知でしょうか? 接心とは、禅門の修行のひとつで、一週間前後、振鈴<しんれいと読みます。起床時間の事>から、開枕<かいちんと読みます。就寝時間の事>まで、食…
以前、1年間ほど、ある曹洞宗の寺院に勤めてました。 このときの出来事です。 このお寺の総代さんがご法事を営みました。 故人の徳のおかげか、現在の付き合いが広いせいか、塔婆が40本ほどもあがりました。 法事が始まる直前のことでした。 この総代さんが、ちょっと待ってくれと言うのです。…
昨日、らぶり☆さんより頂いたコメントに
>宗教っていわれると、ついケイカイしてしまうのはどうしてでしょうね。
とありました。
おそらく、同じ意見の方が多いでしょう。
実は、私も、その一人です。
しつこく勧誘してくるその信者や、羽振りのよさそうな大きな建物、偉そうなお姿の教祖サマ。
そこに、私は胡散臭さと大きな拒絶感を抱いてしまいます。
日本人は欧米に比べ、無宗教だと評されます。
正月は神社に初詣、結婚式は教会で、葬儀は坊主をよんで。
キリストよりもクリスマスを信仰し、檀家だけれども宗派は知らない。
こんな無節操な態度をして、無宗教と批判するのでしょう。
しかし、無宗教よりも恐ろしい宗教があります。
皆さん、わかりますか?
それは、世間教です。つまり、それは社会の常識であったり、人の目であったり、世間のものさしのことです。
ある一時期、私も随分とこれに苦しめられました。
威勢のいい人は、俺は俺だ、というでしょう。
考えのない人は、私は私で関係ないよ、と突っぱねるでしょう。
しかし、俺の隣には、世間の壁があり、私の意識の中には、世間の基準が刷り込まれていることに気づかねばならない思うのです。
じゃあ、何ものにも縛られない本当の自由はどこにあるのだろうか?
ここが、私の出発点でした。
ここから、禅の世界に入っていきました。
私は曹洞宗の僧侶ですが、実家は浄土真宗です。
つまり、お寺の子ではありません。父親は工務店を経営してます。
縁あって、曹洞宗の僧侶として、得度<トクド・出家すること>をしました。
宗教とは、何かをしてはいけない世界でなく、自由な世界であります。
仏教とは、先祖供養の話じゃなく、この現実の生々しい今の現実のことです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 国民の4人に3人が特定の宗教を信じておらず、 宗教を大切だと思わない人も多数派を占めているが、 「神や仏にすがりたい」と思ったことがある人は過半数に上る。 このような宗教に関する日本人の意識が、 読売新聞社の全国世論調査…